こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「根拠のない自信」です。
「揺らぐことのない自信を身に付けたい」
「どうしても自分を戒めてしまう」
「自分を好きになりたい」
という方には必見の内容となっています。
「根拠のない自信」というのは、理由に裏打ちされる「根拠のある自信」よりも強いです。
理由が存在する自信はその理由が揺らげば自信も揺らぐことになります。
「何故だかわからないけど自信がある」という状態こそが「根拠のない自信」の感覚です。
もしあなたが「根拠のない自信」を持つことになったら世界が明るくなるでしょう。
そうすると自然に今まで出来ていなかったことが出来る様になり、もっと高いレベルで悩むようになると思います。
私は「根拠のない自信」にはたくさんの種類が存在していると考えています。
今回はその中から一つに絞ってお伝えします。
それではまず「根拠のない自信」という存在について理解して行きましょう。
根拠のない自信
自分なら許される
「根拠のない自信」は「身に付ける」というよりかは「氣付く」と言った方が正確なのかもしれません。
なので「自分に自信を持ちたい」と考えている人は「根拠のない自信」に氣付くことが大切です。
人は誰でも「根拠のない自信」に満ち溢れているのです。
しかし、内面の奥深くにあるため氣付かないのです。
「根拠のない自信」というのは、「根拠に氣付かない自信」と言い換えられます。
実際には根拠は存在しているのですが、その根拠は内面の奥深くにあるため言葉では表現が追い付かない感覚なので理解しにくいのです。
人間の精神は奥深くに行けば行くほど言葉で理解することが出来なくなっていきます。
寝る直前のことを思い出してみてください。
寝る直前というのは、今と何の関連性もないような様々な「繋がりのない情報」が頭をグルグルとよぎります。
「何故こんなことを考えているだろう」という疑問すら持ちません。
それは深い精神に入っている証拠なのです。
瞑想中の意味のない雑念も深いところからやってくるモノになります。
言葉で理解することは容易ではありません。
しかし、ずっとそのことについて観察していると大きな氣付きを得ることが出来ました。
そして、「根拠のない自信」、言い換えると「根拠に氣付かない自信」の「根拠」の一つを言語化することに成功しましたのでシェアしたいと思います。
それは「自分なら許される」という思い込みから来る自信です。
この自信はとても深いところからやって来るため、なぜそう思い込むのかという理由はわかりません。
なのでその根拠の本質はわかりませんが表面にある言語化可能な部分として「自分なら許される」という思い込みが存在してることに氣付いたのです。
人には何故だかわからないけど「自分なら許される」という思考が頭をよぎる時があるのです。
これこそが「根拠のない自信」の一つだと思います。
戒めよりも大切なこと
「自分なら許される」という自信は「自分自身を戒めるもう一人の自分」と葛藤しています。
ここで大切なことは、「戒める」と「省みる」は別物だということです。
人は「戒める」ことがあれば自分を「省みる」ようになりました。
つまり、自分を「省みる」ために「戒め」を行う必要があるのです。
私たちは「自分を戒めること」が「成長」に繋がると感じています。
「成長」という言葉を大和言葉にすると「育み」となります。
「成長」という言葉は「しなければならない」というニュアンスが含まれる感じがします。
しかし、「育み」という言葉は「するといいよ」というニュアンスを感じます。
「育み」の方がやわらかく受容的な感覚があると思います。
そこで「成長」を「育み」と言い換えた場合、どうしても「自分を戒めること」との繋がりが弱くなります。
「自分を戒めること」=「成長」
「自分を戒めること」≠「育み」
なのです。
どちらかと言うと「育み」という言葉は「自分を温かく迎え入れること」に繋がっている感覚があります。
「根拠のない自信」には「成長」よりも「育み」という大和言葉がしっくり来ます。
大和言葉は古くから伝わる言葉なので、何も無い時代の精神文明が発達していた古き良き時代の言霊が宿っています。
私たちはこの大和言葉を意識することで不思議と調和を感じることが出来るのです。
「根拠のない自信」の果てに「育み」があるとしたら、「自分を戒めること」よりも「自分を温かく迎え入れる」ことの方が重要になってきます。
承認欲求の果てに・・・
人は「承認欲求」が満たされると「省みる」能力が一段と上がります。
自分を戒めるのではなく、自分を褒める方が「育み」に繋がりやすいのです。
どうでも良い小さなことで自分を戒めていたモノが、本当に重要なことを「省みる」ようになるのです。
そうなれば今まで出来たいなかった小さなことも出来るようになるのです。
そこに到達するには「承認欲求」を満たす必要があります。
「他者に褒められたい」という欲求を突き詰めると、「自分で自分を褒めたい」という欲求にたどり着きます。
承認欲求を満たすには「自分を褒めること」が最終的に必要なのです。
まずは「自分を戒めること」よりも「自分を温かく迎え入れること」を意識しましょう。
あなたを高みに連れて行くのは「愛のムチ」ではなく「愛」そのモノなのです。
承認欲求が満たされると「自分の可能性」を信じる様になります。
「自分の可能性」を心から信じ切っているとそれが「行動」に繋がるのです。
「褒められると伸びる」というのは全ての人に通ずる言葉です。
戒めて変わるのは、戒められた部分だけです。
しかし、褒めることはあなたの全てを変える力があるのです。
是非その力に氣付いてください。
誰が何と言おうと自分だけは自分を褒めてやってください。
心の深い部分にその褒め言葉が浸透したら、あなたの悩みのレベルは一段と上に上がります。
そうすれば良い意味で「自分なら許される」という自信が湧いて来ると思います。
これは決して「悪事を働いても許される」といった表面的なモノではなく、「自分が本当にしたいことには誰の許可も必要はない」というモノになります。
その自信に氣付いたら、あなたはもっと身軽になり様々な行動を起こすでしょう。
誰かに許可を求める内は「あなたが本当にしたいこと」ではありません。
誰の許可も無く行動することこそが、あなたの本音から来る行動なのです。
本来あなたは何をするのも自由なのです。
誰にも許可が必要ないとしたらあなたはこの世の中で何をしたいですか?
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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