昨今、世の中にはスピリチュアルな情報がたくさんあふれています。
ネットやYouTubeなどを見ても、スピリチュアルな情報を発信している人が増えて来ています。
これらの情報が増えて来ているのは、それだけスピリチュアルな情報の需要が高まっているとも言い換えられます。
スピリチュアル好きの人がそれに何を求めているかというと、その本質は自己肯定感を高めることではないでしょうか?
スピリチュアルな情報の共通点としては、受容性が高いという点が挙げられます。
あなたがどんな状態にあったとしても、それを否定せず受け入れるいくつもの窓口がスピリチュアル業界に存在しています。
例えば、何かで悩んでいる時はアウェイクニング(深い気付き)が訪れている証拠だったり、人間関係が上手く行かないのはあなたがライトワーカー(地球に光をもたらす存在)だからと言った情報があります。
これらの情報を信じ、ありのままの自分を肯定的に受け入れることで自己肯定感を高めることが出来るのです。
もっと深く追求すると、スピリチュアルな情報が人間の本質をついていることがわかります。
実際に自己肯定感が低いと感じている人は「人の本質を見極める」チャンスが訪れていると私は考えています。
それをアウェイクニングとかライトワーカーと言った言葉で表現しているのです。
ここまではスピリチュアルな世界に興味が無い人にとっては、
「なんのこっちゃわからない」
と感じると思いますが、ここからは誰でも理解できることを伝えていきますので安心して下さい。
「人の本質を見極める」ことで根本から自己肯定感を高めることが可能です。
自己肯定感を根本から高めると、ずっと安定して高い自己肯定感を維持することが出来ます。
では、「人の本質を見極める」ということはどういうことか?
それは人ならば誰にでも共通する普遍的なことを見つけることです。
高い自己肯定感を維持したいなら、誰にでも共通する悩みの根本原因を探す作業が必要です。
例えるならば「地下水脈」を掘り当てる様なことになります。
「地下水脈」は地上からは決して見えないですが、井戸を掘る時に、ドンドン地中深くまで掘り進めて行くと、地中深くに水脈を発見することが出来ます、この水脈は地下で水脈同士が繋がって出来ています。
それは人間で例えると、全ての人に共通することと言い換えられます。
自己肯定感を高めるには上辺だけのテクニック論ではなく、この普遍的な「地下水脈」を掘り当てることで自己肯定感を根本から高めることができます。
では、誰にでも共通する悩みの根本的原因であるこの「地下水脈」を掘り当てるにはどうすれば良いのでしょうか?
「地下水脈」を発見する2つの質問
それはたった2つの質問に答えるだけで解決します。
その質問は「あなたがマイナスな感情を感じた事に対して」の問いになります。
その2つの質問とは、
- 「なぜ~を感じたか?」
- 「なぜ人は~を感じる必要があるか?」
という内容になります。
この質問について深く考え、また深く感じることで「地下水脈」を掘り当てることができます。
「地下水脈」を掘り当てると、
「みんな繋がっているんだ」と言った感情の広がりを感じ、
「私だけの問題ではなかった」と言った安心感を感じ、
「それを発見した私はもっと強くなれる」と言った信念を抱きます。
この3つの質問についての具体的な効果と私の実体験をもとに説明したいと思います。
「なぜ~を感じたか?」
先ず最初に行うべき質問は「なぜ~を感じたか?」と言った気付きの質問です。
自分の感情に気付くことで、素直な視点でその感情に向き合うことが出来ます。
普段せわしく生活をしている人にとって、自分の感情を意識することは余りありません。
感情よりも、外部の出来事で沸き起こる感情から組み立てられる「思考」を意識していると思います。
私たちはどうしても外部の出来事を意識せざる負えません。
そこで、必要になるのは「一人の時間と空間」を作ることです。
自分の心と向き合う時間と空間を利用するには「寝る前」がおすすめです。
寝る前の時間は外部の出来事に影響されることなく、落ち着いて物事を深く考えることが出来ます。
それに加え、寝る前に自分の感情について考え、感じることは睡眠中にそれについてより深く潜在意識にアクセスすることが出来ると言った利点があります。
潜在意識にその質問の答えを深く刻み込むことで、自分を根本的に変える手助けをして貰えます。
もう一つの「なぜ人は~を感じる必要があるか?」という質問についてもこの時間帯を利用することをおすすめします。
では「なぜ~を感じたか?」という質問にはどういう効果があるのでしょうか?
質問の効果
「地下水脈」を掘り当てるには、自分がマイナスの感情を感じた時にフタをすることなく、素直に認める作業が必要になります。
この質問には、自分の感情と素直に向き合うことが出来るという効果があります。
では逆に、自分の感情と素直に向き合わないとはどういうことか?
マイナスな感情を感じた時に人が取りがちな行動があります。
それは「気持ちを切り替える」という行動です。
普段仕事や家事に追われている生活をしている人にとって、マイナスな感情を感じることによってパフォーマンスが下がります。
それは日々の作業を効率的に行うには好ましくありません。
そこで一時的な解決策として「気持ちを切り替える」ことによって、マイナスな感情にフタをして、あたかも自分はその感情には関係がないようなフリをするのです。
もちろん、それも日々の生活の中では、様々な出来事に対応しないといけないという事実があるため、その場限りでは必要な行動にもなりますが、根本原因を突き止めて、根本から自己肯定感を高めるという視点から見ると邪魔な思考になります。
その邪魔な思考を排除し、素直な気持ちで自分の感情に向き合えるのが「なぜ~を感じたか?」という素朴な質問なのです。
その質問の内容については、十人十色なので自由に考えて貰った方が効果的です。
それでは次にこの質問についての私の実体験を例に挙げてみます。
私の実体験
私は以前、病気の影響もあり人間不信になった経験があります。
周りの言動が常に気になり、周りが楽しく笑いながら会話をしている状況を見ると、自分のことをバカにして笑っているのではないかという思考を持っていました。
今考えると、当時の自分は自己肯定感が非常に低かったと思います。
ざっくり言うと、その思考にたいしてとても「嫌な感情」になりました。
最初は周りが自分をバカにしているという思考が果たして現実なのか思い込みなのかとても気になりました。
でも、いくら考えても現実か思い込みなのか答えはハッキリしませんでした。
そして自分に「なぜそれを嫌と感じたか?」と問いかけました。
最初はその質問に対して「わからないけど勝手に嫌と感じた」としか答えられませんでした。
しかし、この質問について深く考えている内に、やっとちゃんとした答えを導き出しました。
それは「人に嫌われたくない」と感じているからだと確信しました。
そしてその答えに関しても同じ質問を投げかけました。
「なぜ人に嫌われたくないと感じるのか?」
それに対しての答えは「人に嫌われると自分の価値がないと感じているから」と気付きました。
さらにその答えに対して「なぜ人に嫌われると自分の価値がないと感じるのか?」という問いについて考えました。
それは「自分に自信がないから」だと感じました。
私はこのようにドンドン同じ質問で答えを追求していきました。
「なぜ自分に自信がないと感じているのか?」
その答えは「自分がやって来たことに自信がないから」と感じました。
「なぜ自分がやって来たことに自信がないと感じるのか?」
「人に言えない非常識なことをして来たから」。
「なぜ非常識なことと感じるのか?」
「これまでの人生で親や学校の先生に言われたことに反していたから」
「なぜ他人から言われたことに反していることをしたいと感じたのか?」
「それをすることに喜びを感じていたから」
「なぜそれに喜びを感じていたのか」
「他人から言われたことを守るのはつまらないと感じていたから」
「なぜつまらないと感じていたのか」
「自分のしたいことではなかったから」
「なぜ自分のしたいことではなかったと感じたのか」
「自分が非常識な人間だから」
ここまで来たらまた同じ質問をしました。
「なぜ非常識だと感じるのか?」
そこで先ほどの答えとは別のもっと根本的な感情に行きつきました。
「恥ずかしいから」
「なぜ恥ずかしいと感じるのか?」
この質問には答えられませんでした。
ずっと考えても質問の答えは導き出せませんでした。
その時に二つ目の質問をしました。
「なぜ人は~を感じる必要があるか?」
「なぜ人は~を感じる必要があるか?」という質問は、出来るだけ広い視野を持って考える必要があります。
この質問の答えは十人十色と言った個人的なことがらではなく、多くの人にとっても役に立つことを考えることで導き出せます。
質問の効果
この質問に答えることで、自然と人類の普遍的なことがらに近づくことが出来ます。
普遍的なことがらについて考えることで、自分だけの問題ではないと自覚することに繋がります。
自分が感じている感情が、多くの人も同じことを感じていると自覚することで自分が抱える悩みが、多くの人々の悩みに入れ替わり、ここで人と人との繋がりを意識し、安心感を感じることが出来ます。
それではこの質問についての私の実体験をお伝えします。
私の実体験
一つ目の質問を繰り返すことでで導き出された「恥ずかしい」という感情について、「なぜ人は恥ずかしいと感じる必要があるのか?」という質問を自分に投げかけました。
その答えは直ぐには出ませんでした。
しかしずっとそのことについて意識していると、ふとその答えが頭の中をよぎりました。
それは「疎外感を感じるため」でした。
恥ずかしいという感情は少数派だった場合に感じることの出来る感情になります。
つまり、「恥ずかしいと感じるあなたは多数派の人と繋がることが出来ないのです」と言われているような感覚になるのです。
それを一言で表すと「疎外感」になります。
私は以前からこの「疎外感」を感じるのがとても嫌だったと気づいたのです。
なぜ嫌だと感じるのかというと、人は、昔から社会的な生き物だからです。
人は大古から群れを作り行動して来たのは、自分より強い動物に対抗する為です。
群れを作ることによって絶滅を逃れて来たのです。
そう考えた場合、人と人との繋がりを感じることがとても大切なことだとDNAに刻み込まれているのを感じました。
人は一人では生きて行けない社会的な生き物です。
赤ちゃんで比較すればそれがわかります。
動物の赤ちゃんは生まれた後にすぐに立ち上がることが出来ます。
それは周りに敵が存在しているからです。
それに比べて人間の赤ちゃんは最初は寝がえりすることすら出来ません。
何故なら、その必要性が急務では無いからです。
群れを作り、より安全な社会を気付いた人間の赤ちゃんは敵が居ません。
敵が居ないのは、大勢の人々が繋がり、社会を築くことで安全を確保したからです。
つまり、人と人が繋がる➡群れを作る➡社会を築く➡安全を確保した➡人と人が繋がるのは生命を守ることに繋がるという情報がDNAにしっかりと刻み込まれているのです。
では、「疎外感を感じる少数派は人として価値がないのか?」というとそうではありません。
むしろ現在は少数派の人間が経済を動かしています。
すでに安全な社会を構築した人間にとって少数派ということで恥ずかしさを感じる必要はないのです。
もちろんある程度の社会秩序を保つために「恥」という感情は感じる必要があります。
しかし、少数派によって「疎外感」を感じる必要性はありません。
少数派こそ社会に必要な人材なのです。
しかし、少数派によって感じる「疎外感」を感じなくすることはすでにDNAに刻み込まれているのでとても難しいことだと感じました。
そう考えた私は自分に「なぜ疎外感を感じる必要があるか?」という問いをしました。
結論を言うとそれは「人の役に立つため」だと気づきました。
それこそが人類普遍の「地下水脈」だったのです。
次に「人の役に立ちたい」という想いの重要性についてお伝えします。
それは決して偽善では無かった・・・
人の役に立つという想い
「疎外感」を嫌な感情として感じることによって、強制的に人と人との繋がりを意識せざるを得ません。
現在の安全な人間社会において、「疎外感」を感じることに意味があるとすればそれは人と人との繋がりを感じ、「人の役に立つ」ことを良心が求めているからだと確信するに至りました。
その感情から逃げずに受け入れることが出来れば自己肯定感が一気に上昇します。
「人の役に立ちたい!!」
そう心から思えた時に、その感情が自分の良心にピタッと重なりそこから情熱が生まれます。
それは無限のエネルギー源なのです。
そこまで到達すれば、「疎外感」を感じることなく、後は自動的に高い自己肯定感を維持することが出来ます。
とても便利な気分です。
その時に私は、周りが自分をバカにして笑っていることが現実か思い込みかはどうでもいいことだと気づきました。
もし、現実として周りが私をバカにしてても私の価値は変わりません。
逆に「人をバカにして笑うこと自体価値が低いな」と強気になれます。
それどころか、そこに気付かせてくれた人達に感謝することが出来ます。
感謝を感じたら憎しみは消えていきます。
私は以前から「人の役に立ちたい」という想いは、どこか社会的に良い印象を与えるための上辺の言葉に聞こえていました。
仮に本当に心からそう思っている人が居るとしても極少数派に過ぎないと思って居ました。
しかし、私自身が心からそう思えるようになった時に、これは決して偽善的なキレイごとでは無く、過去に私が関わった人達にもそういう想いを抱いていたからこその言動だったのかと、人という生き物に対してとても好印象を持ちました。
そうなった私は、人間不信という状況から脱出し、「人への純粋な想い」からこのブログを作成するにまでに至ったのです。
このブログを書いて居る時は「人の役に立つため」という純粋な良心に従うことの喜びを感じることが出来ます。
そして、それを書き、世の中に発信することが出来る自分の恵まれた環境にとてもありがたみを感じています。
この恵まれた環境と自分が苦しんだ経験を生かして表現したこのブログを読んでくれているあなたの役に少しでも立てたならば本望です。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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