本当の意味で強氣になるには~静かな闘志を内に秘める~

人生マインド

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回は「強氣」についてお伝えします。

「強氣」の反対が「弱氣」です。

それぞれの意味を調べました。

強氣:成功すると見越して積極的な態度に出ること。よくそういう態度をとる傾向。

弱氣:気力に欠けること。すぐ弱音(よわね)をはく傾向。

この二つの意味からまとめると、「強氣」とは「氣力が満ちていて、積極的な態度に出ること」です。

「強氣」のニュアンスとしては攻撃的な姿勢という意味を感じる人も居るでしょう。

しかし「本当の意味での強氣」とはとても静かなモノです。

あまりにも静かすぎて物腰柔らかく見えることもあると思います。

「静かな闘志を内に秘める」という言葉がありますが、これこそが私が考える「強氣」という意味なのです。

「本当の意味での強氣」に満ちている人はとても自尊心が高く、自分の可能性を信じています。

何かに反発するために「強氣の姿勢」を保とうとすることは、あくまでも「姿勢」に過ぎなくその根本には「弱氣」があります。

根本的なところから「強氣」で居る人は表面的な言葉を氣にしません。

日常会話で良く傷ついたり反発したり、相手を変えようと自分の主張を押し付けようとする人は根本に「弱氣」があるのだと思います。

では根本から「強氣」で居るためには一体どうすればいいのかを考察していきます。

強氣で居るために

氣の観点から

氣という観点から見た場合、「強氣」という氣は単体ではなく、複数の氣が混合しているかのように感じます。

「勇氣」や「本氣」「殺氣」など闘争するために必要な氣を上手い具合に統合して胸の中心に宿し、それらの氣を張ることによって自分自身の「間合い」の様なモノを作ることで「身の安全」を確保する感覚だと思います。

実際の戦闘にも「強氣」は重宝するでしょう。

しかし、私たちの日常生活において戦闘をすることはほとんどありません。

格闘家や自衛隊でもない限りは「殺氣」は必要ないと思ってしまいます。

しかし、少量の「殺氣」こそが確固たる自信に繋がると私は考えています。

イメージしにくいと思いますが、他人の「殺氣」を感じると人は委縮してしまいます。

では「殺氣」を放たないで、内に秘めたらどうでしょうか?

あまりにもおびただしい「殺氣」の場合は別ですが、少量の「殺氣」を内に秘めると「静かな氣分」になります。

わかりやすく言うと「いつでも準備してる感」が出るのです。

これこそが正しく「静かな闘志」の原型なのではないかと思うのです。

つまり、「強氣」は「静かな闘志」であり「内に秘めた少量の殺気」なのです。

女性の方には理解に苦しむ人も多いと思いますが、「殺氣」についてもっと深堀したいと思います。

生物学的観点から

「殺氣」というとどうしてもイメージが悪いと思いますが、歴史を認識することで理解できることがあります。

私たち人間は(特に男は)大古から戦ってきました。

動物との戦い、人同士の争い、女性であれば女同士の戦い。

特に動物と戦っていた時期が非常に長く、人類は「やるかやられるか」の瀬戸際を何度も経験したと思います。

そこで大事なのが「殺氣」なのです。

「殺氣」とは別の言い方をすると「覚悟」のようなモノです。

「覚悟」を決めないと逆にやられてしまう時代があったのです。

そのことから考えると、生き残った人間は「殺氣」つまり「覚悟」が備わっている人間だということになります。

その生き残りの子孫が私たちだとすると私たちには「殺氣」を持つことで何かしらの「覚悟」を持つ様にDNAに刻まれているのではないかと思います。

武士道の観点から

武士が刀を常備していた時代には、常日頃から「戦う準備」をしていたと考えられます。

腰に刀を差して居る人同士ではいつ襲われるかわからないからです。

そのために「殺氣」を内に秘めることで「戦う覚悟」をしていたのです。

「殺氣」は目から出てしまうため、「殺氣」を大量に内に秘めていた人はおそらく、目を軽く細めて、いわゆる「目が座る」状態になっていたと考えられます。

有名な坂本龍馬の写真も目を細めて遠くを見ていて、完全に目が座っています。

このことから考えると、目を軽く細めることが「静かな闘志」の入り口にならないかと思いました。

実際にやってみると、一時的ではありますが「心が静か」になります。

アタフタしている時に目を細めるのは結構効果的かもしれませんね。

漫画の「バガボンド」で宮本武蔵が柳生家(やぎゆうけ)の凄腕剣客4人と満月の夜に真剣で対峙した時の台詞として「なんだろう・・・この感じ・・・目を閉じてしまっても構わないような・・・そんな氣さえする・・・」と武蔵は「命のやり取り」の最中にも関わらず、心の静けさからそんな名言を残してます。

これこそまさに「殺氣」を内に秘めた表現だと言えます。

その前の戦いで武蔵は「殺氣」を内に封じ込めることに成功していました。

以前は「殺気」むき出しの獣の様に戦う武蔵でしたが、「殺氣」を内に秘めてからは静かに戦う様になっています。

井上雄彦先生は本当に心理描写が上手いなぁとつくづく思います。

漫画の話になりましたが、私が言いたいのは「殺氣」を内に秘めるということが武士道の精神に深く関係しているということです。

この姿勢はとても東洋的な姿勢だと思います。

私たちも日本人らしく根本から「強氣」で居たいなら「少量の殺氣」を内に秘める必要があるかもしれません。

最後に・・・

以上が「強氣」についての考察になります。

ほとんど「殺氣」の話でしたね(笑)

腰に刀を差して歩く物騒な世の中から比較的平和な時代に変わりましたが、私たちの精神はまだ時代に追いついて居ないと思います。

精神はまだ物騒な世の中を生きていると思っている節があるので、古くから続く「武士道」の精神である「殺氣」を内に秘める方法がまだ必要なのかもしれません。

常日頃という訳にはいかないですが、ここぞという時に仕事などで「強氣」で居ることは人間関係や仕事で悩まない方法としても重要だと私は考えてます。

高圧的な態度を取るのではなく、「静かな闘志」を内に秘め、「ブレない心」を持ってして行動すれば、自然と自分を表現する「勇氣」も持ち合わせられると信じています。

「組織の時代」から「個の時代」に移り変わって行くこの時代だからこそ、「氣力が充実した本来の自分」を出せるように準備することが大切なのではないでしょうか。

あなたが「強氣」に行動し、どんどん自分の思った方向へ進んで行くことを願ってやみません。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

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