統合失調症の頭の中~当事者の体験ブログ~

統失について

今は僕のYouTubeチャンネルで一番観られている動画の台本をアップしています。

統合失調症の頭の中

ある晩のことです。

アメトーークというTV番組を見ていた時にそれは起こりました。

お笑い番組ということもあって、常に笑いが絶えない中で私は、

「あれ、これって自分のことを笑っているのか?」

という感覚に陥りました。

するとTVの中でカメラ目線ではなく、カンペを見ながら話している演者を見て、

「もしかして、見ているのはカンペでは無く、モニターで自分を監視しているのでは?」

という思考に苛まれました。

そして私の思考と連動するタイミングで笑っているTVを見て、「これは思考も読まれているな」

という感覚に陥りました。

TVを観続けると疑問が確信に変わりました。

「絶対自分のことを見て馬鹿にして笑っているんだ」

そう思ったのがこの病気との出会いでした。

そして数日間仕事を休み、不思議な症状が出初めてから車で通勤した時のことです。

「あれ、後ろの車がずっと自分についてくるな」

「もしかして、自分のことを監視しているのか」

そう思いながら職場に向かいました。

職場に入った時に、ケータイで会話している上司を見て

「もしかして出勤した時に私の後をずっと付けて来た車の持ち主と会話しているのでは」

そう思いながらも、なんとか自分の席で仕事を始めました。

そして当時工事現場の管理をしていた私は現場に向かいました。

すると、現場に向かう途中、町中でケータイを持って電話している人を見ては、

「こいつら確実に自分のことを監視しているな」

「ケータイで自分の現在地を上司に伝えているに違いない」

「陰で自分を貶める為の上司の策略だ」

そう思いながら現場に着きました。

すると現場でケータイを持って電話している同僚を見て、

「こいつも上司の手先だったんだ」

とショックを受けました。

なんとか仕事をやり切った後、私は実家に帰り、親にそのことを話しました。

でも親は私の言っていることを理解してくれませんでした。

それもそのはずです。

私が言ってる内容の全ては私の頭の中の妄想の世界でしかありません。

今ならそれが理解出来ますが、当時の私としては妄想が真実だと確信していました。

そして、数日間私は陽性症状が出た状態で仕事をこなし続けました。

そしてとある事情で仕事を休み、北海道へ行くことになりました。

その時にも監視の目を感じてました。

仕事から離れ、休みの間も監視されている状況から推測して

「私を貶めようとしている黒幕は上司ではなく、もっと大きな組織が関与しているに違いない」

そう思いました。

町中が私の敵だらけでした。

スマホで情報を漁りまくった私は、

「集団ストーカー」という言葉を知りました。

「もしかして自分はとある組織から命を狙われているのではないか」

それを親に電話で伝えると、

心配して北海道まで迎えに来てくれました。

陽性症状が出てからは実家に暮らす様になっていたので、親と一緒に実家に帰りました。

そして仕事を長期休養することになりました。

休みの間、私はある組織がなんで私を狙っているのかという動機を考えました。

考えた末に編み出した結論が

「この世界を創ったのは私で、私をきっかけとしてこの世界が滅びようとしている」というモノでした。

そんな妄想を信じ切っていた私を見かねて、ついに親が病院へ連れて行ってくれました。

そこはとある小さなクリニックで、中に入ると、ジブリの音楽がオルゴールバージョンで鳴っていました。

それを聴いて今までに傷ついた心が徐々に癒されて行った感覚を今でも覚えています。

このクリニックだけは不思議な力で守られている、

そんな感覚を感じていました。

そこで私は初めて「統合失調症」という診断を受けました。

診断を受けた時に、なぜかとても安心しました。

そこから私の投薬治療が始まりました。

その時に初めての入院も経験しました。

薬を飲み続けることで陽性症状が収まり、それが陰性症状に変わって、徐々に回復に向かって行きました。

そして当時の職場を止めて、別の仕事につきました。

そこから私は人間関係に悩み、職場を7回も転々としました。

仕事を休みがちでお金が無かった私は一攫千金を目指し、岐阜県にある工場で勤務することになりました。

職場には病気のことは一切言わず、その為、病院に通うことも止めた私は投薬治療を放棄してしまいました。

薬を止めてから二か月経過した頃、案の定病気が再発しました。

再発した時の症状は正直言って最初の時よりも酷かったです。

仕事を休み、自宅で療養していた時の事です。

トイレに行こうとすると、幻聴が聞こえました。

声の主は私の兄弟やいとこでした。

小さな小人になった兄弟やいとこが私を助けるために、私の頭の中に入って私の体を操作していました。

私は兄弟やいとこに迷惑をかけない様にじっとしていました。

結局私は自宅の部屋にあるトイレに行くにも一時間以上かかってしまいました。

岐阜で一人暮らしをしていた私は食料品を買うため、自転車で買い物に出かけました。

町中に出るとなぜだか三つの世界が見えました。

一つは癒しの森の世界。

この世界に居るととても癒されます。

私はその世界をエルフの世界と名付けました。

次に二つ目の世界が太陽族が住んでいる世界です。

この世界に居ると元氣が湧いて来ます。

そして三つ目の世界が現実世界です。

なぜ急にそんなことになってしまったのかはわかりませんが、私はこの三つの世界を救うために、所々でお祈りを捧げました。

人が見ている前で、ひざまずき、両手を合わせてお辞儀をしました。

その時は幻想の世界を生きていたので恥ずかしいという感情はありませんでした。

部屋に戻ると、私はなぜかドラゴンになり、卵をお腹に宿している感覚になりました。

まるで催眠術などで

「あなたはドラゴンです」

と言われたかの様に、私はすっかりドラゴンに成りきっていました。

そんな状況が一週間続き、私は近所の家の敷地に不法侵入してしまいました。

警察につかまり、そこで初めて親にもそれが伝わって、

岐阜に迎えに来てくれました。

実家に戻って眠りにつく頃、私はバケモノを見ました。

バケモノは私の魂を狙っていました。

横になっている私の胸の辺りにある魂の液体をバケモノが美味しそうに食べている映像が見えました。

酷く疲れていたのか、それでも私は冷静に眠りました。

それから私は二回目の入院をしました。

その時に初めて保護室に入りました。

保護室はトイレと布団以外は何も無い部屋でした。

そこで私はバケモノと戦っていました。

薬を飲んで症状が収まると、二か月ほどで退院することが出来ましたが、また再度症状が悪化しました。

この時が一番辛かったです。

この世界は宇宙人によって操られていて、人の頭のてっぺんに釣り糸の様なモノが見え、みんなそれによって行動を制限されている様に感じました。

なぜだか私だけ釣り糸が無くて、自由の身でした。

そこで私は謎の使命感によって、自由の身である私が全ての人を救うんだと意気込んでいました。

その時に、全ての人の苦しみの塊が私の体に入り、

それがとても苦しかったです。

言葉では表すことが出来ないくらい不思議な苦しみでした。

結局私は三回目の入院をしました。

これが最後の入院になりますが、この時に同じ統合失調症の人と会話をしましたが、会話の内容は通常の人では理解できない内容でした。

入院中も宇宙人と戦っていましたが、必死に頑張った末に私はこの世界を救いました。

この時に重要なポイントとして、統合失調症になって世界が変わったとしても、自分の人格はあまり変わらないということが挙げられます。

変わってしまったのは世界の方で、変わった世界にどう対処するのかはその人の人格によるのだと私は考えています。

なんとか退院した私は、徐々に回復して行き、同じ統合失調症で苦しんでいる人の為にブログを始めました。

こうして私は統合失調症と人生というテーマで物事を深く考える様になりました。

そこから私は瞑想を習慣にし、多い時は一日中瞑想していたこともありました。

統合失調症に良いとされるサプリも飲んだりして、病気と前向きに向き合うことで、約一年間で劇的に変わりました。

今まで何年もこの病気で苦しんでいたのはなんだったのかと思えてくるほど、この一年間で見違えるようになりました。

それから私は、統合失調症という病気を治すのは時間では無く、自分の考え方や心の在り方次第で、早く治るということを実感しました。

心について色々調べたり、自分の内面を見つめたりする内に、心の世界って面白いなと思える様にもなりました。

このブログを始めたのは、何年かかっても治らなかった私の失敗談と、一年間で症状がほぼ無くなった私の成功体験が、誰かの参考になれば良いなと思ったのがきっかけです。

これからも統合失調症や人生についての深い考察をどんどんアップして行きたいと思いますので、

良かったらYouTubeの方もよろしくお願いいたします。

コメント

  1. nimo より:

    こんにちは☘️今回で3回目のメールを送らせて頂きます。nimoです。ゆうきさんの配信楽しみにしています

    私も7年前に統合失調症と診断され、今は保育士で毎日フルタイムで働くまでに回復しています。
    ゆうきさんの考えはどこか私に似ている気がしていつも共鳴、学ばせて頂いてもらっています。ゆうきさん、また悩み相談にはなってしまうのですが…聞いて頂けませんか?

    私も3年目になるのですが、キリスト系の保育園で働いていて、特殊な悩みというか…、職場の職員との兼ね合い?で悩んでおります。
    その中でゆうきさんの「素敵な職場に転職するために」という動画で、”清らかな自分を目指す”というワードが出てきて、さっそく期待を抱きました。
    精神というのは、奥が深ければ深いほど抽象的な言葉でしか表せなくなると、清らかさについてぱっと思いついたのが私は、”清楚”とか…母に聞いてみたら、「仕事だったらなんでも素直に、あまり余計なこと考えずにはい、はい、と聞く」(笑)とか。。

    “清らかさ”ってなんだろう…?と、自分で仕事中も考えたり、意識したり、最近はずっと考えていて…。
    この清らかさって、ゆうきさん何ですか?ネットで調べたりしたんですけど、いまいちわからなくて…(笑)
    これが分かって実践できれば、私も人間関係がよくなるかもしれない、と思っていて…
    ゆうきさん、いつも読んで頂きありがとうございます。
    よろしければ、教えて頂けませんか?

    • ゆうき ゆうき より:

      お久しぶりです
      コメントありがとうございます。
      これは僕の自論と言いますか、体験談に過ぎませんので、
      参考程度に☆彡
      清らかな自分を目指すということについてですが、
      自分の心の中の問題を認識する感覚です。
      そうなると、
      けがれた心を消す方向へ向かいます。
      それによって最終的に清らかな自分に近づく感じです。
      当時の僕は、まず、けがれた心に氣付き、
      (何をけがれとするかは人それぞれ個性があると思いますが、僕は人間関係において、人を憎む心にとてもけがれを感じておりました。)
      最初の頃は人を憎む自分に氣付き、
      そんな自分はダメだと、
      自分を憎む羽目になっておりましたが、
      結局のところ、
      人を憎むということは、
      自分を許していないことの現れだと氣付きました。
      いわゆる「投影」ってやつです。
      人を憎んだり、嫌だと感じたりするのは、
      自分の心の中を見ろ!というメッセージだとも思います。
      結局なんでも自分に回帰するのだと考え、感じ、信じると、
      不思議と逆説的に相手の課題と言いますか、
      これは自分がコントロールできない(どうでもいい)相手自身の案件だよなって、
      上手く線引きができるようになってきています。
      それによって以前なら、かなり落ち込んでいただろうことを言われても、
      今は軽く流す感覚を覚えました。
      なんだろう、
      清々しい感覚とでもいいましょうか。
      一種の諦めに近いけど、
      そこに愛はあるという感じ?
      うーん、上手く説明できてなかったらすみません。

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