【希望】統合失調症が治った例~病の理解~

統失について

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回は私が発症した統合失調症について、

長年苦しんだ経験や、

克服するために始めた瞑想によって理解した、

「深い精神世界」についてお伝えしたいと思います。

私は現在二度目の社会復帰を果たし、

社会人として普通に生活を送っていて、

一度目の社会復帰の時に味わったフラッシュバックや残遺症状が全くない状態です。

薬の服用を前提として、

心の病は心の在り方次第で早く治るという確信を持ってこのブログを立ち上げました。

統合失調症という病は心の病において少し特殊な病でもあります。

それを克服するための手段として、

僕の場合は薬、サプリ(ナイアシン、ベタイン)、瞑想などが効果的でしたが、

薬に関して言えば、

完治を目指す治療法ではなく、

対処療法だと認識しています。

だから薬を服用して、

ただ漫然と生活するだけではなかなか治りにくいという経験があります。

今回は、

統合失調症を治す準備として、

病の理解を深めてほしいという想いがあり、

このテーマにしました。

良かったら最後までお付き合いください。

それでは早速見て行きましょう!

深い精神世界

世界三大心理学者の一人、

カール・グスタフ・ユングは、

統合失調症の患者の診察を続ける中で、

患者に共通する不思議な一致点から、

集合的無意識という概念の仮説を提唱しました。

統合失調症の当事者として、

この仮説の提唱は私にとってありがたいものです。

なぜならば、

臨場感を持った症状を単に否定されるのではなく、

肯定する訳でもなく、

集合的無意識という仮説によって、

幻聴などが聞こえる事実と、

統合失調症でなくても神のお告げを聞けた方が多く存在するという事実など、

統合失調症だからこうなる、

ではなくて、

人間の深い精神状態では、

そんな不思議な世界が広がっているということが、

統合失調症の患者だけではなく、

卓越した瞑想修行者や、

スピリチュアルに目覚めた方、

敬虔な宗教家が経験した神秘体験などを包括的に説明ができるようになったからです。

私は年間500時間以上を瞑想に費やしているのですが、

今では瞑想が好きになり、

こんな素晴らしい習慣があったのかと日々感謝しています。

そんな瞑想習慣を持つ私は、

深い精神状態へ入ることができるようになりました。

人は深い精神の世界では、

夢を見ます。

つまり、

寝ている時は誰でも深い精神状態へ入っているということでありながら、

起きている時にも同じレベルの精神状態に入ることによって、

まるで夢を見ているかのような体験をすることができます。

瞑想によってそこに至るには、

私の場合は2年ほどかかりましたが、

統合失調症の症状がひどい時には、

「準備なしに」一瞬でそこに至ることができます。

この「準備なしに」というところが今回のお伝えする本質であり、

瞑想によって心の準備をしながら深い精神状態に入る時の体験と、

統合失調症の症状によって瞬間的に深い精神状態に入る時の体験とでは、

根っこは一緒ですが、

表面上に出てくる体感ベースでは、

まるで正反対になります。

私が経験した統合失調症の症状には、

罵倒されるような幻聴が聞こえます。

しかし、

私が瞑想で経験した深い精神状態では、

神のお告げのようなものが聞こえるのです。

そう言うと、

(まだ完全に回復していないのではないか)と、

疑いの目で見られる方も居ると思いますが、

私は瞑想をしなければ、

不思議な声は聞こえないですし、

それに傾倒するような精神状態でもないです。

話を戻しますが、

症状では罵倒の声が聞こえ、

瞑想では導きの声が聞こえる。

この事実を、

集合的無意識という概念を持って説明すると、

心の奥底(無意識の領域)では、

みんな繋がっているということであり、

夢を見ている時に他人の声を認識するのも、

仕組みは同じで、

奥深くに広がる精神世界では、

今も目まぐるしくみんなが無意識の声を放っている。

私はそう信じています。

ここで心配しないでほしいのですが、

思考伝播やテレパシーなどが相手に伝わるという感覚も、

実際に物理世界を生きている相手の意識には、

それは全く認識不可能だと言うことです。

無意識の領域で相手に届いている可能性はありますが、

もしこれを読んでいる当事者がテレパシーなどで困っているのであれば、

それは相手が認識していることが前提なのではないでしょうか。

相手はテレパシーを認識できません。

同じ統合失調症の方ならまだしも、

普通の人間がテレパシーやあなたの思考を知る余地はないのです。

だから安心してください。

話は逸れましたが、

私が今回伝えたいことは、

症状を消すのではなく、

深い精神状態に入った時の「心の態度」を変えて、

楽になってほしいのです。

考えてみてください。

誰かに罵倒される声が聞こえるのと、

神の導きのような声が聞こえるのとでは、

どちらが楽でしょうか?

もちろん答えは後者です。

根底ではみんな繋がっているため、

声が聞こえるという点では、

深い精神世界の共通認識として同じですが、

「心の態度」が愛ベースだと、

それが素敵な世界へ一変するのです。

因みに統合失調症の症状は、

「心の態度」が恐れベースの方が多いと思います。

愛ベースの「心の態度」になった時、

素敵な世界を体験しますが、

その世界に依存することはないのかなと個人的には思います。

なぜならば、

依存とは、

恐れベースの「心の態度」であり、

満たされた愛ベースでは、

そもそも依存という概念自体が消えるからです。

このように愛ベースの「心の態度」で深い精神世界を生きていれば、

次第に浅い精神世界(普通の世界)へ戻れるようになります。

これは私の体験談ですが、

精神の深いところで愛を感じると、

まるで、

心の奥底に愛を置いてくることが、

この病になった理由なんだと思えます。

そう思えた時、

浅い精神状態(普通の世界)へ戻ることができたのです。

今では瞑想によってどちらにも行くことが可能になり、

好奇心から精神世界を探求することが趣味みたいになっています。

心の態度を愛ベースにするには

当たり前ですが、

心の態度を愛ベースにする方法は、

私の経験則からくるものであり、

あなたには私以上の可能性があることを前提として、

私が経験した枠組みの中での説明をさせていただきます。

正直言って、

具体的な方法は説明不要です。

さきほど、

薬、サプリ、瞑想などを上げましたが、

ただ言われたからと、

全く同じことをしても、

身にならない方も居るからです。

重要なのは、

私とは違う別の方法にしても、

私と同じような心意氣で行えば、

効果があると思います。

その心意氣とは、

希望に向かって歩いて行くことです。

「希望なんて見つからないよ」

そんな嘆きの声すら愛しながら、

そのわずかな希望の光をどんどん広げていくことが大切なのです。

そしてそれは、

人生の手綱を、

自分で持つということです。

あなたの人生は誰のものですか?

あなたの過去のトラウマは誰が対処した方がいいですか?

あなたの病は誰が治すのでしょうか?

これらの質問に全て「自分」と答えられた方が、

愛ベースの「心の態度」になれるのです。

苦しんで嘆いている、

そんな自分じゃダメだ、

ではなく、

苦しいことには意味がある。

そう信じるのです。

誰かのせいにするのは簡単なことですが、

楽な道ではありません。

自分で背負って行くのは難しいことですが、

これこそまさに楽な道に繋がります。

どうかあなたのその覚悟を自分自身に見せてあげてください。

もう立ち上る時が来ているのです。

このブログを読めるまでに回復したあなたなら、

できる!

否定の思考が湧き出ても大丈夫!

失敗しても大丈夫。

道というものは、

失敗か成功かの「分かれ道」ではない。

失敗の連続の先に成功が待っている「一本道」なのです。

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