こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「優越感と劣等感」です。
「劣等感」は感じたくないですよね。
では「優越感」はどうでしょうか?
最近ネット上ではこの「優越感」を悪とする情報が多いです。
もしかしたらあなたもそんな情報を耳にしたことがあるかもしれません。
あなたは「優越感」と聞くとどんな感じがしますか?
「悪い感情だ」
「手放すモノだ」
「劣等感を生み出すモノだ」
などと言った否定的な感じを受ける人も多いはず。
でも私たちは人間である以上「優越感」を完全に無くすことは不可能です。
そして、「優越感」とは「氣持ちいい感覚」です。
それが真実なのです。
因みに私は「必要のない感情は存在しない」と考えています。
全ての感情に意味があり、そして全ての感情は大切なモノとして認識しています。
ではなぜ「氣持ちいい優越感」を「手放す」だとか「必要ない」とかと言った情報に溢れているのでしょうか?
それは「劣等感」から解放されたい人にとって希望となりうる情報だからだと思います。
「劣等感」を感じるのは誰だって嫌ですよね。
「劣等感を感じたくない」と思ってしまっても感じてしまいます。
あなたが何かの世界一になったとしても「劣等感」は感じるでしょう。
それは当たり前ですよね。
「劣等感」を全く感じない人間は居ません。
「でもなるべくなら劣等感をあまり感じなくしたい」
誰もがそう思います。
もちろん私もそう思います。
では人間である以上絶対無くならない「優越感」と「劣等感」とはどう向き合えばいいでしょうか。
その答えは「感情の大切さ」を知ることです。
優越感と劣等感の大切さ
ちょっと想像してみてください。
この世に「優越感と劣等感」が無かったとしたら・・・
誰もが幸せな天国を想像する人も居るでしょう。
しかし、実際は他人と比べることが無くなりますから人間のモチベーションが下がってしまうと考えられます。
考えてみて下さい。
あなたは今すぐ簡単に「お金持ち」になれるとしたらなりたいですか?
「お金には興味無いから」という人はある程度お金がある人だと思います。
しかし、本当にお金に困っている人なら「なりたい」と答える人がほとんどでしょう。
しかし、ここで言う「お金持ち」とは一体誰と比べているでしょう?
アフリカの一般市民と比べたらあなたはもう既に「お金持ち」と言えます。
あなたが想像する「お金持ち」とは周りの平均と比べて定義していると思います。
つまりあなたは無意識に周りと比べているのです。
もし本当に周りより遥かに「お金持ち」になったとしたらどうでしょうか?
真剣に想像してみてください。
お金に価値を置いてない人は別の何かで周りよりずっと優れていると想像してください。
自然に「優越感」を感じられるはずです。
「優越感なんて感じなかったよ」と言う人はそれを無意識に感じているのです。
だって「優越感」とは周りと比べて優れていると感じる感情ですから。
「お金持ち」という考え方自体が周りと比べているのです。
感情とは不思議なモノで、想像するだけで感じることが出来ます。
あなたはいとも簡単に「優越感」を感じることが出来るのです。
「劣等感」も想像で感じることは可能です。
ではなぜ人間は「優越感と劣等感」を感じる様になったのでしょうか?
それは「変化や成長」へと繋がるからだと思います。
私は「成長」という言葉より「育み」という言葉の方が好きですが今回は構成上分かり易く「成長」と明記します。
人間のモチベーションは主に2種類に分けられます。
それは「リスク回避」と「リターン追求」です。
「リスク回避」は「安全で居たい」とか「安心してたい」という欲求から来ます。
これらを満たすためには「劣等感」が必要なのです。
「劣等感」を感じたら人は一旦落ち込みます。
直ぐに立ち直るかは人それぞれですが、この落ち込みによってもたらされるのは「慎重さ」です。
神経が敏感になり、危険を察知する能力が上がるのです。
だから行動するより思考する方へ向かいます。
「このままではいけないよ」というメッセージなのです。
だから人は「劣等感」を感じると自分を変えようという働きをするのです。
自分を変えるために必要な感情が「劣等感」なのです。
もう一つのモチベーションとして「リターン追求」があります。
これは自分が行うことでメリットを得られると感じれた時にモチベーションが増すということです。
これらのメリットには「優越感」と関係ない一人完結型のメリットも存在しますが、この中で人と比べて得られるメリットも多く存在します。
人と比べてメリットを感じる時に「優越感」が湧き出るのです。
「優越感」という感情は「人と比べたい」という欲求を生み出します。
大きな視点でみると人同士が競い合う中で切磋琢磨して成長して行くのです。
例えそれが不浄な感情から来る「優越感」だとしても成長に繋がります。
この競い合う精神が無ければ私たちはまだ低レベルな文明しか築けてなかったでしょう。
太古の昔から人類は群れで生息して来ました。
そこで急激に文明を発展させるための火付け役として「人と競い合う」という思考が生まれたのです。
人同士がクリーンだろうが不浄だろうが競い合うことで文明を発展させ、豊かな環境を手に入れられるのです。
今の社会は競争社会です。
そう聞くと競争が苦手な人は嫌悪感を感じる人も居るかと思いますが、ちょっと立ち止まって考えてみて下さい。
競争社会とは何も弱肉強食を意味している訳ではありません。
社会が競争することで弱者にもちゃんと恩恵が与えられる社会が現在の社会なのです。
そしていつからか自分と競う人も存在して来ました。
自分と競うことで「成長」するという新たな境地を人類が見出したのです。
その境地に達した人類は「優越感」だけではなく、他の感情も「成長」へと繋げることに成功したのです。
その感情の正体が「自己達成感」だと私は考えています。
「自己達成感」の出現により「優越感」を「成長」と結びつけることは低レベルなことと認識する様になりました。
しかし、どんな人でも周りと比べてしまうのが人間です。
だからこそ「優越感」を利用して「成長」へ繋げることもとても大切なことなのです。
「優越感」で満たされたら人は「善の道」へと導かれます。
それは周りを幸せにする「自己達成感への道」です。
「優越感」で満たされると妬みや嫉妬と言った感情から一時的に解放されるのでそう言った思考になりやすいのです。
「優越感」は手放すモノでは無く、満たしてやるモノなのです。
真剣に行えば想像することで満たすことも出来るので是非とも「優越感」に浸ってみてください。
最後に「優越感」と「劣等感」の向き合い方を紹介します。
優越感と劣等感の向き合い方
まず大前提として「優越感」と「劣等感」は大切だと感じましょう。
「優越感」は満たされれば最終的に人を幸せにします。
「劣等感」はあなたを良い方向へ変えてくれます。
その力を信じましょう。
そして注意点として感情に溺れない事が必要です。
「優越感」に溺れるということは「優越感」=「幸せの本質」と勘違いすることです。
「優越感」はあくまでもあなたや他人を幸せにする過程で必要なツールであって「幸せの本質」そのものではないということを自覚しましょう。
簡単に言うと「幸せ自慢」をしている人は「優越感」で満たされてなく、逆に「優越感」に渇きを感じて居ることになります。
「幸せ自慢」がしたいならしても結構ですが、本当に幸せな人はそれをひけらかすことをしません。
そんな人には何かしらの「劣等感」がソコに隠れているので「劣等感」と向き合いましょう。
「劣等感」に溺れるということは「劣等感」=「意欲低下」というループから抜け出せない人です。
何度も言いますが「劣等感」とは「あなたを変える力」です。
あなたを変えるには最初に「思考」を変える必要があります。
そのために「劣等感」を感じると行動力が低下するのです。
今は行動するより思考する時期と割り切ってください。
その力を利用して自分の思考を変えてください。
「劣等感」をなぜ感じたかと自問自答することによってあなたが大切にしていることがわかります。
「劣等感」とは自分の射程範囲の人しか感じれない感情です。
自分よりはるかに優れている人に対して「劣等感」は抱きません。
つまり「劣等感」を感じるということは、自分もそうなれると心の底では思っているのです。
「劣等感」の裏にはあなたの大切な価値感が隠れているのです。
それを大切に育んでください。
あなたが「優越感」と「劣等感」を上手く使いこなし、あなた自身を「変化と成長」へ繋げていくことが出来れば幸いです。
このブログでは他人を踏まえたテクニック論ではなく、自己完結型の自分を根本から変える方法を扱っています。
自分が変われば世界が変わると信じているからです。
是非他の記事も読んでみてください。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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