自分の奥底にある偏見に気づくだけで周りが味方に見える

人生マインド

「相手が自分のことをどう思っているか気になる」

そんな人は自分が相手を心の奥底でどう見ているか気づいていません。

「頭」では「人はみんな平等だ」と考えていても心の奥底には偏見が眠っています。

この偏見に気づくだけで、今まで敵に見えていた周りが味方に見える様になります。

そうなれば自然と自分を表現することが出来るでしょう。

偏見に気づくには「体の役目」について知る必要があります。

体の役目を知る

胸とみぞおちの役目

人は頭で全てを感じているわけではありません。

「自分の胸に手を当てて聴いてみて」という言葉は胸が色々な感情を感じていることを表しています。

体にはそれぞれ役目があり、それは生命維持活動だけではありません。

「胸」は良くも悪くも「感情を広げる」という役目があります。

チャクラ的に言うと「胸」は「愛念」が宿っています。

あなたの「胸」は「全てを愛したい」と願ってます。

あなたの「胸」は「偏見なんて持たないでくれ」と叫んでいます。

偏見が存在する場所は「みぞおち」です。

あなたの「みぞおち」は「自分らしくありたい」と願っています。

「みぞおち」は「自分らしくある」ために相手を非難してしまうのも特徴です。

「憎しみ」などの感情も「みぞおち」で感じています。

憎い相手を想像すると「みぞおち」がゾワっとします。

「みぞおち」は「自分らしさ」を表現させてくれない相手は嫌いなのです。

だから「自分らしさ」が失ってしまう様な感情は基本的に受け付けません。

「自分らしさ」を表現することが出来ない相手を見ると、嫌な感情が「みぞおち」から「胸」に上がって来ます。

そうなると「胸」が嫌な感情を広げてしまいます。

そして「頭」が「この人は苦手」と認識するのです。

松果体の役目

先ほどから「頭」と表現してきたのは、正確には「松果体」です。

「松果体」は直感的にもの凄く早いスピード感で体に「命令」を下しています。

これがあるから瞬間的に危険を察知して回避する行動がとれます。

「松果体」は大古から備わっている動物的な「感」を担う役目を持っています。

「サーチライト」の様に常に体に光を当てて、様々な気づきをもたらしてくれます。

「偏見」に気づくもの「松果体」がやってくれます。

しかし、「松果体」はあまり賢くありません。

なので良く勘違いして体に命令を送っています。

例えば「苦手な人」を見ると「嫌な感情」を出すことが重要だと勘違いしています。

「松果体」は重要なことに素早く反応してくれますが、「何が重要か」という高度な判断が出来ません。

元々危険を回避するために生まれた機能なので、「苦手な人」を見るとわざと「嫌な感情」を出させて「苦手な人」から離れるように仕向けるのです。

しかし社会人となると、どうしても「苦手な人」とも付き合っていかなければならない状況もあります。

なので、「松果体」に「苦手な人は居ない」と刷り込む必要があります。

この方法は以前の記事で細かくまとめたモノがあるのでそれをご参照下さい。

そもそも「偏見」を完全に取り除くことが出来たならば「松果体」も安心して「苦手な人」を見ても回避させるような命令は下さなくなります。

なので「偏見」に気づくことが一番重要です。

手の役目

「手」は「気」が出る場所です。

医学的にも「手」には非常に多くの神経が通っていて、歴史的にも人は「手」によって文明を築いて来ました。

人間の「手」は非常に繊細な動きをし、繊細な感覚を持っています。

神経を研ぎ澄まし「手」を体に当ててみると、「体の声」が聴こえます。

ここでは自分の偏見に気づくために「みぞおち」に手を当ててみて下さい。

そして「松果体」で気付きを得るイメージをして下さい。

きっと様々な偏見を持っていることを感じることが出来るでしょう。

「働いてない人に対する偏見」

「病気の人に対する偏見」

「考えが浅い人に対する偏見」

「陰湿な人に対する偏見」

自分が実際に同じ様な状況であっても「偏見」を持っていることがあります。

だから相手も同じ「偏見」を持っていると錯覚するのです。

「働いてない自分に偏見を持っていそうだ」

「病気の自分に偏見を持っていそうだ」

「考えが浅い自分に偏見を持っていそうだ」

「陰湿な自分に偏見を持っていそうだ」

と考えてしまうのです。

その偏見を無くす方法は一つです。

心の奥底にある「偏見」に気づくだけで良いのです。

気づいたら自然と「偏見」がなくなります。

これは社会が「偏見は良くない」と教育してきた恩恵があるからです。

あなたは「頭」で「偏見は良くない」と考えているはずです。

だから「偏見」に気づくだけで「頭」が「それを止めよう」とみぞおちに命令を下すのです。

「偏見」に気づくと様々なことに付随して気づかされます。

これらの「気づき」を頭で理解することでより「安心感」を覚えることが出来ます。

次に私が「苦手な人」を克服したことによって得た気づきを紹介します。

苦手な人を克服することで気づいたこと

感情と他人は別物

あなたが感じている感情は相手によって引き起こされたわけではありません。

正確には感情と相手は別物です。

「松果体」が勘違いして感情と他人を結び付けているだけなのです。

だから本来は「苦手な人」というのは存在しません。

「苦手な人」というのは自分の思い込みによるものです。

なので自分自身を変えることが出来たら「苦手な人」は居なくなるはずです。

「偏見」を完全になくすことが出来れば全ての人が味方に見えることでしょう。

みぞおちで嫌な感情を味わうと気持ちいい

「みぞおち」の役目として先ほど「自分らしさ」を失う感情は受け付けないとお伝えしましたが、全てを受け入れる覚悟を持つことで、嫌な感情を「みぞおち」で味わうことが出来ます。

「みぞおち」には憎しみが潜んでいますが、通常はあくまでも隠れているだけでちゃんと憎しみを味わってはいません。

味わうというのは「受け入れる」に近い感覚です。

憎しみや嫌な感情を「みぞおち」で深く受け入れてみて下さい。

そうすると「気持ちいい」という感覚が体全身に伝わります。

感情は良い感情も嫌な感情も本気で受け入れた時には「快感」を感じる仕組みになっているのです。

現実世界で突如起こった嫌な出来事に対しても「みぞおち」で味わえばだいぶ楽になります。

あなたに全てを受け入れる覚悟が備わっていたら嫌な感情を「みぞおち」で味わうことで理論上「不快な気持ち」にならなくなります。

まぁ全てを受け入れることは通常の人間には出来ませんが・・・

しかし、ある程度のことは受け入れ可能ですので、是非とも「みぞおち」で嫌な感情を処理する習慣を身に付けてください。

常に自分らしく居られたら嫌いな人は出来ない

「自分らしさ」を表現することに「恐怖」を感じている人も居ると思います。

しかし、本当に自分らしさを表現している人を見てあなたはどう感じますか?

おそらく嫌な気持ちにはならないはずです。

その人に逞しさと輝きを感じると思います。

「自分らしさってそもそも何?」

と感じている人はもっと自分を深く見つめる作業が必要になります。

「そんなの要らないよ」

と思っている人は自分らしさを無意識に表現出来ている人ですので自分を見つめる作業は必要ありませんが、そう思わない方は深く自分を見つめてあげて下さい。

あなたとはそもそも何者?

そういう素朴な問いにしっかりと答えられる様になったら自分らしさがわかって来るでしょう。

自分を見つめるには心の声に耳をすまさなければいけません。

宜しければ下記の記事をご参照下さい。

最後におすすめの瞑想法を紹介して終わります。

おすすめの瞑想法

私は「チャクラ瞑想」をすることで上記の様なことに気づきました。

以前に「呼吸瞑想」や「マントラ瞑想」を試したことがあったのですが、一番効果があったのが「チャクラ瞑想」でした。

「呼吸瞑想」は呼吸を意識するだけの瞑想法でやることは単純ですがとても難しく、何より「つまらない」ということで継続を断念しました。

「マントラ瞑想」は決めた言葉を唱えながら瞑想する方法で、これもやることは単純ですが難しかったです。

それに比べ「チャクラ瞑想」はまずチャクラの知識を知ることから始めないといけないのでやることは多くなりますが、音源を聴きながら瞑想することで効果抜群でした。

現在も毎日「チャクラ瞑想」を楽しんで行っています。

楽しい理由は効果を感じているからです。

効果を感じるまでに3ヶ月ぐらいかかりましたが、体の仕組みについても深く理解することが出来る様になったのでやって良かったと思っています。

詳しい「チャクラ瞑想」の方法については下記の記事をご参照下さい。

上記の記事の他にも「チャクラ」について書いた記事がいくつかあるので良かったら読んでみて下さい。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

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