幼い頃、情熱という言葉を知った。
その言葉の意味は分かってても、言葉の感覚は知らなかった。
竹馬で遊ぶのに夢中だった。
砂遊びをするのに夢中だった。
自転車に乗るのに夢中だった。
でもそれが情熱の正体だとは知らなかった。
中学の頃、部活に入った。
部活以外のことは考えてなかった。
情熱の正体を知った。
でも、この言葉の大切さは分からなかった。
高校に入ると部活をサボるようになった。
冷静という言葉が好きだった。
サボることがクールだと思っていた。
でも高校生活最後まで部活を続けた。
なぜか結果を残した。
それは冷静のおかげだと思った。
冷静な自分が好きだった。
クールな自分が好きだった。
でも本当は、冷静のおかげではなかった。
情熱が貯めてくれた貯金のおかげだった。
でもそれを認めたくなかった。
冷静=クール=カッコよい。
その方程式が崩れるのが怖かった。
いつしか情熱という言葉が嫌いになった。
情熱しかなかった幼い頃を忘れた。
部活のことばかり考えてた中学時代を忘れた。
気付けば夢中になれることが無くなってしまった。
情熱に愛想つかされた。
社会人になった。
情熱の大切さを認めざる負えない状況だった。
素直に認めればよいのに。
高校生の頃からあこがれていた冷静の方程式が情熱の邪魔をしていた。
仕事に夢中になった。
情熱の大切さを頭で解るようになった。
統合失調症になった。
人生が変わった。
仕事を転々とした。
時には長期で休んだりもした。
情熱のかけらもなかった。
闇の中でもがき苦しみながら7年の時が過ぎた。
ある朝、部屋の模様替えをした。
気分が晴れた。
縮まった情熱が急にはじけ出した。
きっかけは何でも良かったかもしれない。
ずっと情熱に会いたかった。
それが本当の気持ちだと知った。
情熱の大切さをを心で理解した。
もう絶対手放さない。
そう決めた。
それは心で決めた。
いや、魂で決めた。
今は情熱という言葉が大好きです。
あなたは情熱という言葉は好きですか?
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