こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
そう名乗るのもお久しぶりです。
これを書き留めている現在2023年7月30日午前5:51に三度目のワンネスが訪れましたので備忘録も兼ねてこの記事を残したいと思います。
ワンネスとは一言で言うと「全てに祝福されている、愛で全てがひとつに繋がっている」そんな感覚のことです。
今とても幸福感に満ちています。
きっかけは10年疎遠になっていた(別に仲が悪い訳じゃない)友人が僕の地元県である沖縄に帰って来てて、飲んでいる写真をグループLINEで観たことが引き金となりました。
「嬉しい」
素直にそう感じました。
それでは早速本題に入りたいと思います!
ワンネスというスピリチュアルな体験談
ワンネス体験三度目ともなると、少し高揚感を抑えてすべきことをしたいと思うようになっています。
それは、メンタルブロックを外すべく過去や現在の悩みを迎えに行くことです。
ワンネス中に悩みを迎えに行くことによってその悩みに祝福のエネルギーが流れ込みます。
もう何て言ったらいいのか、
悩みが無くなるというレベルではなく、
悩みが僕を祝福してくれている、
宇宙に生かされているという確かな安らぎ、
ずっと感じていたい。
そんな氣分でございます。
最高!というようなスピード感あふれる感覚ではなく、
じわ~っと、じ~んと感じるとてもゆったり、ゆるりとした感覚です。
「もう何も要らない」
それも少し違います。
「全てがそれでいいんだ」
そんな感覚に近いです。
僕はかれこれ統合失調症を10年以上経験していますが、
最近は症状も安定していて、
病であることを忘れているような状況です。
でも今回は統合失調症とワンネスについて再び考察してみたいと思います。
統合失調症とワンネスの関係性
ワンネスを感じると全てが完璧なまでに満たされていて、これこそが精神世界の最終地点だという錯覚を起こします。
それくらいまじまじと感じる感覚的な現象です。
しかし、以前から僕はワンネスと統合失調症の陽性症状は対になっていると考えております。
ここで以前の記事で使った図を見て欲しいです。
ワンネスは愛や慈しみ、祝福と言った感覚で全てが繋がっていることに氣づくことであり、
統合失調症の陽性症状は恐れや恥と言った感覚で全てが繋がっていることに氣づくことだと私は考えています。
そして無感情と言いますか、静寂なまでの心の静けさで全てがひとつに繋がっている感覚が悟りの境地だと思います。
仏教では悟りは52段階あるとされてますが、ワンネスや統合失調症の陽性症状を超えると、
悟りの1段階に到達するのだと私は考えています。
確か40段階ぐらいを超えたあたりからソレは一時的なモノではなく、
ずっと悟った感覚が続くと言われています。
それはきっと心の憂いが無く、
自分という概念も無く、
ただ何をすべきかが見えていて、
そしてそれを淡々と実行するような感覚だと推測しています。
何が言いたいかといいますと、
全てはひとつで繋がっているが、
「愛と恐れのせめぎ合い」という次元でソレを感じるか、
もっと突っ込んで、静寂の中でもうひとつ上の「育み」の次元でソレを感じるかという話だと思います。
私はチャクラ瞑想を年間500時間以上行っているのですが、
そのお蔭もあってか、
一度だけ静寂の真理という感覚を体験したことがあります。
それは本当に無音で時が無く、空間も透明な間が永遠に広がっているかのような感覚でした。
おそらくこれを書き留めないで真剣に瞑想すると、
今のワンネス状態からソコにたどり着くことはできるのかもしれません。
統合失調症とはとてもスピリチュアルな現象であり、
スピリチュアルによって病を引き起こしたり、
スピリチュアルによって病を改善したりする人が居るのも、
見えない世界に呼ばれた選ばれし者(特別という意味はない)なのかもしれません。
宇宙全体のことを考えた場合、
量子力学的に量子もつれという光を超える速度で一瞬で何万光年も先の場所と繋がれるということであれば、人の意識は宇宙になかなかの影響を与える存在なのではないでしょうか。
だからこそ宇宙にとって良いモノを創り上げるために、器(体)が整った者を呼ぶのだと勝手に妄想を膨らませております。
最後に・・・
これを書き留めている本日は仕事が休みなので、
ちょっと瞑想して真理にたどり着けるかやってみたいと思います。
ので、記事はこの辺で終わりたいと思います。
ではでは、
素晴らしき命に祝福を☆彡
コメント
ゆうきさん、お久しぶりです。nimoです。TwitterでもDM返してくれたり、本当にありがとうございます。Twitterでは書けそうになかったので、勝手ながらここに書きます。相談にはなってしまいますがTwitterでも言ったのですが、最近仕事でも悩み抱えていて…。
ゆうきさんのある動画の”高揚感と距離を置く”という動画で、とても興味深く見させてもらいました。原因不明の落ち込みが治る一つの方法としてあったのですが、これは、瞑想をしない私でも、普段の生活でやって、活かせることができますか?
私の場合は、例えば好きな音楽をイヤホンで聴いている時に高揚感?が訪れる時があるのですが、それと距離を置いたり、普段意識していない時でも高揚感が訪れる時があると思うのですが、それと距離を置くことによって、今私が悩んでいる仕事場での人間関係の改善にも繋がるのかな…?と最近考えておりまして、漠然とした質問で申し訳ありません
少し悩み相談にはなってしまうんですが、この動画であった高揚感についてもゆうきさんとお話したいなと思っていて、よかったら返信頂けたら嬉しいです☘️
nimoさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。職場での人間関係は悩みますよね。長期的に他人と付き合って行く中で関係がこじれたりすることもあるとは思いますが、実際に僕自身まだ学びの段階なので正解は存じておりません。なのでこれは個人的な意見として参考までにお伝えしますが、「高揚感と距離を置く」とは言い換えれば「やすらぎをもっと大切にする」ということです。これは瞑想を形式的に行うよりも、実践で氣づきながら活かす方が可能性があると僕は見ています。なので瞑想を形式的にしているかどうかはそこまで氣にしなくていいかと思います。もちろん形式的な瞑想も大切ですが、「高揚感を感じている自分に氣づく(その時に自分を責めないでただ氣づく)」これも立派な実践瞑想だと思います。自分を責めないで氣づくということはその行いを積み重ねることで上達し続けることが可能です(おそらく脳のある一定の回路が太くなるのかと)。そう言うと、氣づくだけじゃ解決にならないと感じるかもしれませんが、実はそうではなく、ただ自分を責めることなく氣づいている時、少しのやすらぎと共にあります。「あぁ、今、高揚感があるな」言葉にするとそんな感覚です。別に高揚感は悪ではなく善でもありません。ただ、高揚感と共に訪れる「奢り」には僕自身氣をつけています。誤解されないように言って置くと、僕自身高揚感は好きです。でも、それよりもやすらぎの方が好きになりました。何か特別なことをして急激に職場の人間関係が良くなるという魔法みたいなものは今のところ存じないですが、脳の回路を太くする意味でも、やはりじっくりと腰を据えて改善して行こうと心に決めることが大切なのかなと僕は考えております。これは魔法ではありませんが、覚悟が定まると人はその時点でいくらか救われます。今回こうしてnimoさんが相談してくれたことで、僕自身改めて色々と考えさせられるきっかけを頂けましたことに感謝いたします。僕も未だに人間関係で悩む時があります(当たり前ですが)。共に乗り越えて行きましょうね☆
高揚感に気づいている時、少しのやすらぎと共にある、たしかに言われてみればそんな気がします
私も高揚感は好きですが、気づくだけでやすらぎを感じている、そんな風になりたいです。
距離を置けるようになったら、なにかその時活かせるかもしれませんね。
ゆうきさん、ありがとうございます♂️