僕が語る僕の中に居る複数の僕ら~日本人のあなたへ~

ポエム

僕の中には複数の人が居る。

僕の他には、ゆうくん、ゆうき、苗字、俺、わたし、自分が居る。

僕は小さい頃から家族に「ゆうくん」と呼ばれた。

物心ついた時からその名前が嫌いになった。

「くん」付けはどこかよわよわしい感覚がある。

成長と共に、可愛い自分よりかっこいい自分になりたかったからだ。

現在も家族には自分のことを「ゆうくん」と言っているし、そう呼ばれている。

周りに聞かれると少し恥ずかしい。

でも、幼い頃からそう言われていたので、変え時がわからず今でも使っている。

「俺」はこのことを「とても恥ずかしい」と感じている。

「わたし」も「恥ずかしい」と感じている。

「自分」も「恥ずかしい」と感じている。

このことをあなたに打ち明けるのは「僕」しかできない。

「俺」は色々着飾っている。

「わたし」は少しだけ背伸びしている。

「自分」はかくれんぼが好きだ。

でも「僕」はそんなこと必要ないと知っている。

「まことのおのれとは?」

と神様に聞かれたら「僕」はこう答える。

「僕らです」と。

これは日本人特有の感覚だ。

日本には様々な一人称がある。

僕、わたし、俺、自分、パパ、ママ、せっしゃ、おのれ。

地方の方言も含めたらもっと多い。

それらを使い分けることで様々な仮面を付けて生きている。

でも不思議、海外の言葉には「わたし」しかない。

一人称が一つなのだ。

日本と比べて、海外の人は「わたし」をよく使う。

「I am Yuki.」

と 言ったり

「My name is Yuki.」

と言ったりする。

直訳すると「わたしはゆうきです」「わたしの名前はゆうきです」となる。

日本では、

「あなたの名前は?」

と聞かれたらこう答える。

「ゆうきです」

と名前だけ言う。

「わたしの」とか「わたしは」とか言わない。

日本人は自らの名前に奥ゆかしい気持ちを持っている。

日本には名前を言わない美学がある。

「名乗るほどのことでもない」

そう思うのは日本人だけ。

実は名前を凄く大切にしているからこそ言いたくないのかもしれない。

社会では自らを「名前」で呼ぶことを「恥ずかしい」とされている。

なぜ「恥ずかしい」のかは誰も知らない。

その風習はいつから始まったのだろう。

おそらく日本人は自らの名前を大切な人以外には「伝えてはいけない」という「おきて」みたいなモノがあったのだと思う。

じゃないとこの感覚は説明つかない。

日本人の名前に対する想いは明治時代より変わった。

苗字が付けられることで家族や親族の絆が深まり、個人の名前の感覚が薄らいだ。

庶民にとって、江戸時代まで苗字はなかった。

名前だけが授けられた。

「名付け親」という言葉がある。

「名付けること」は昔から大切にされていた証拠だ。

「名前負け」という言葉は「名前に込められた想いに負ける」という意味だ。

名前には「どういう風に育って欲しいか」という「想い」が込められているのだ。

たとえ言葉として意味が通じないキラキラネームでもちゃんと「想い」は込められている。

キラキラネームには「独特」という親の想いがある。

(どくとく:そのものだけが有していること)

他にも「素敵」とか「かっこいい」とか「可愛い」とか「面白い」という想いがあるのだ。

日本人は無意識にとても名前を大切にしていると思う。

「名誉」という言葉がある。

「名前」が「誉れ」嬉しいことだ。

(ほまれ:良い点をほめたたえる)

「名誉」が傷つくことを「名折れ」という。

名前が「折れる」という表現は、名前は「折れるようなかたいモノ」として捉えていたのかもしれない。

僕は「名前」のイメージを「やわらかいモノ」として捉えている。

「名誉」のイメージは「かたいモノ」と感じる。

「かたいモノ」はいずれ折れる。

だから僕は「かたい名誉」は求めない。

だけど、「やわらかい名誉」は求めてる。

「やわらかい名誉」は僕の中にある。

「他人からの名誉」ではなく「僕からの名誉」って感じだ。

僕が僕を「ほめてあげること」がちゃんと出来たらそれで十分だ。

ソレが出来たら、色々なことが良くなっていく気がする。

ここまでタイピングを進めてあらためて思う。

「僕は裸だ」と。

そして僕には使命がある。

僕の使命は「俺」や「わたし」、「ゆうき」「ゆうくん」を成長させることだ。

僕は成長することがない。

代わりに成長してくれる「彼ら」が居る。

僕のしたいことは、僕が僕で居ることだ。

自らの「体」を僕が操作して、色々なことを体験したい。

それだけが僕の望みだ。

でも「体」は僕だけのモノじゃない。

「僕ら」のモノだ。

だから、「彼ら」にも「体」をゆずってあげたいと思ってる。

それが「彼ら」の成長にも繋がる。

ではこの辺で、僕は僕の居場所に帰るとする。

心の奥底へ。

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