キングダムの名シーン「人の本質」とは?

人生マインド

現在連載中の人気漫画「キングダム」から学んだ人の本質について書いていこうと思います。

「キングダム」は秦の始皇帝が中華を統一するまでのストーリーを舞台にした漫画で、

主人公は下僕(戦争孤児)の出身の武将になります。

それぞれ個性あふれる魅力的なキャラクターが多い中、このストーリーには欠かせないのが、始皇帝の政(せい)になります。

今回はこの政が持つ人の本質について深堀したいと思います

異国で産まれた少年

後に始皇帝となる政は秦ではなく隣の趙(ちょう)という国で産まれました。

元々は父親が秦の王族の血筋だったが、人質に取られて政は産まれたときから、周りが敵だらけの状態でした。

幼少期には周りから冷遇を受けて育ち、痛みの感覚を感じないほどになっていました。

そんな中、秦王が病に倒れ、次の王に政を推薦している派閥が政を趙から脱出させることに成功しました。

その時に脱出を手助けした若い女性の商人に命を助けられ、その女性は亡くなってしまいました。

幼少期から忌み嫌われていた政にとって「なぜ赤の他人がそこまで自分の為に尽くしてくれるのか?」疑問を抱いていました。

キングダムの名シーン呂不韋との論戦

政が秦王に正式に認められる儀式「加冠の儀」で、それを邪魔しようと目論む呂不韋(りょふい)との論戦が始まりました。

呂不韋は商人から丞相(王の次にえらい)の位まで上り詰めた優秀な人物です。

「中華統一」を唱える政に対して呂不韋が言ったことは、「金で国を治める必要性」を説きます。

呂不韋は、中華統一が他の国を滅びすことで成立する為、どれほどの悲劇が中華全土に広がるかを論じました。

為政者は国民に血を流させてはいけない。そして、お金で国を治める、つまり富が廻る仕組み、秦がその中心の国になれば戦争は止まると説きました。

ん~、ぐうの音も出ない論理。

私は初見でこれを読んだ時にそう思いました。

そこで政が答えたのは「人の本質」についてでした。

政が説いた人の本質は「光」です。

戦争で散っていった人達がもたらすのは憎しみではなく光だと論じました。

人が闇に落ちるのは己の光のあり様を見失うからであり、その悲劇を増幅させ人を闇へ落す最大のものが戦争と説きました。

その戦争を自分の時代で終わらすという並々ならぬ政の覚悟を知った呂不韋は政の成長を喜びました。

人の本質とは?

よく性善説と性悪説が比べられますが、その違いは人は本来、善の心を持っているか否かです。

私は、性善説の方が時代にマッチしていると考えて居ます。

性悪説は、人は努力することによって善を得ることが出来るという考え方ですが、逆に人の本質を性善説とした場合に、じゃあ努力しなくても善だから努力不要かと言われたらそうじゃないと思います。

そもそも持っている善の心が良き思考を生み、色々なことに挑戦することに繋がります。それを他人から見るとあの人は努力しているなと思うわけです。

本人からすると心のままに行動しているだけなのに、努力していると言われる。

それは、善の心に気付いたからだと考えます。

では人の本質を性悪説とした場合はどうだろうか?

努力して善の心を得たとしましょう。

この場合の努力という意味合いは苦労というニュアンスが含まれます。

人は本来善ではないから、嫌でも努力しないといけない。

そして、相手にもそれを求める。

努力は続けないと善を失ってしまう。

そんなイメージがあります。

なので私は性善説を信じることにしています。

どちらが正しいという訳ではないですが、人が本来善の心を持っていると考えた方が、楽して生きていけるからです。

根性論が流行った高度成長期の日本を生きた人は、どちらかと言うと性悪説が多いと私は思います。

ただ、色んな物やサービスが普及している現在は、努力して認められるという風潮よりも、個性を表現する方が認められる世界になりつつあります。

YouTubeやTwitter、Facebookはどれも個性を尊重したシステムです。

つまり現在は性悪説では生きにくい世の中になっています。

努力や苦労が善を得るのではなく、すでに持っている自分の個性豊かな善の心に気付くことで、より楽しい人生を活発に生きることが出来ると信じています。

自分のダメな所に目を向けるのではなく、自分が本来持っている光に目を向けることで、人生が急に好転します。

あなたも是非、自分の光を探してみて下さい。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

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