こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
早速ですが、本題に入ります。
もしあなたが「氣」を感じ、「氣」の意味を理解することが出来れば、あなたの人生がとても豊かになること間違いなしです。
「氣」とは「気」のことです。
でも私は「氣」という漢字の方が好きです。
その理由は後ほど説明しますが、簡単に言うと「氣」の方が潜在意識にとってメリットが大きいからです。
「氣なんてあるわけないだろ」
「氣は非科学的で認めるわけにはいかない」
そう思う方も居るでしょう。
しかし、「氣」という漢字を使った日本の言葉が多く存在する事実は認めてください。
氣になる。
氣がつく。
氣を使う。
氣を配る。
氣持ち。
氣が晴れる。
今挙げたモノはほんの一例です。
「氣」を使った言葉は他にもたくさんあります。
「氣」が存在しないならば、
なぜこんなにも「氣」を使った言葉が存在すると思いますか?
私が思うに、昔の日本人はとても繊細な感覚(霊性)を持っていて、言葉もとても大切にしていました。
「言霊(ことだま)」という言葉があることからもそれがわかります。
そんなに大切に言葉を使っていた日本人がこんなにも「氣」という言葉を多用していたのは「氣」を感じていたからだと思います。
私は「科学信仰」による「決めつけ」を止めて、「体をとおして素直に感じる感覚」を大切にすると決めてからは、「瞑想」のおかげで「氣」を感じれるようになりました。
それはとても「神秘的」で「確かな存在」と感じます。
「氣」を感じるようになってからは、今まで理解出来なかったことが「腑に落ちる」ようになりました。
私はこのブログで伝えたいことがまだまだたくさんあります。
それは「氣」によって日々「内なる発見」がもたらされているからだと感じます。
「氣」を感じることで毎日新たな発見があり、とても「面白い」です。
「面白い」は好奇心が満たされた時に発生します。
なので「氣」を感じることは「あなたの好奇心を満たすこと」なのです。
「氣」という大和言葉
「氣」は訓読みで「いき」と読みます。
訓読みは大和言葉と言って、日本人が昔から大切にしていた言葉です。
「生きる」
「生き生き」
の「いき」です。
「いき」という音はただ耳に入るだけで、積極的な感覚をもたらします。
「い」も「き」も母音は「い」になります。
「い行」は命の意味でもあり、「命の元と積極的に前に出る存在感」を表します。
とても繊細で素直なあなたなら「いき」の感覚がわかると思います。
そして次に「気」より「氣」を使った方が潜在意識にとってメリットがある理由を説明します。
「氣」と「気」
「氣」と「気」の違いは「米」と「〆る(しめる)」の違いです。
「米」という漢字は末広がりに広がっていくという意味があります。
「〆る」は閉じ込めて出ない様にするという意味があります。
これは都市伝説ですが、時の支配者が民たちの「氣」を封じ込めるために「気」を使ったんじゃないかと言われています。
現に「氣」という漢字が「気」に変わったのは戦後のGHQによる漢字統制がきっかけです。
GHQは私たちが知らないような、本来の日本人の心を封じ込める「一見意味のないように見える」改革を多く行っています。
「将棋」もGHQによって「戦争」と結びつけられて無くそうとしていたそうです。
そして様々な大切な言葉が「戦争」と結びつけられました。
「愛国者」や「大和魂」、「天皇万歳」もそうです。
「愛国者」と聞くと海外の人はみんな良いイメージを意味するそうです。
でもなぜか日本人は「愛国者」のイメージが「戦争」に結び付く、これは日本人が反省したことでそうなったわけではありません。
GHQの戦後教育改革によって生まれたイメージなのです。
「国を愛する」と聞くと「戦争」のイメージが湧きません。
なぜか同じ意味の「愛国者」と聞くと「戦争」のイメージが湧きます。
これは強制的に「愛国者」という言葉だけを変えられたからこそ感じる違和感なのです。
「愛国者」という言葉が「戦争」に結び付くと本気で考えているのは日本人だけです。
国を愛する気持ちが「平和」を愛する気持ちであるのと、「愛国者」という言葉は同じことだとなぜ気がつかないのか?
現に私も「愛国者」と「戦争」と結びつけていました。
教育というモノは末恐ろしいです・・・
話を戻しますが、「気」よりも「氣」の方が潜在意識に「氣」が広がるイメージを刷り込むことができるのです。
私は普段はわかりやすく「気」と表現していますが、この記事で「気」ではなく「氣」と表現しているのもそれが理由になります。
潜在意識に刷り込まれた「氣」が広がるというイメージは「氣」が増えることに繋がります。
「氣」が少ないとエネルギー切れを起こしてしまい「やる氣」がなくなります。
なので「氣」は多い方が良いのです。
おそらく「良い氣」が有り余るほど増えた時に「ワンネス」を感じるのではないかと思います。
「良い氣」と「悪い氣」
風水で「良い氣が入るようにしましょう」
という言葉を良く耳にします。
「氣」には「良い氣」と「悪い氣」が存在すると考えられています。
しかし、「良い」「悪い」をもっと掘り下げて考えてみると、「良い氣」とは「自分に合った氣」で、「悪い氣」とは「自分に合わない氣」だと思います。
「氣が合う人」という表現がありますが、これは「自分にとって良い氣を持った人」ということです。
「波長が合う」とも言い換えることができます。
「氣」を科学的に言うと、見えない「周波数」や「振動」こそが「氣」の正体ではないかと個人的に思ってます。
人によって好き嫌いが分かれるのも「氣が合うか合わない」によって感じ方が違うためだと考えてます。
なので「自分に合う氣」を取り込むことが大切だと思います。
私は部屋で「お香」を焚くのですが、嫌いな香りがするお香を焚くと「氣持ち」まで悪くなります。
逆に好きなお香を焚くと「氣持ち」が良くなります。
「氣」を感じるようになって、普段から自分の環境を「自分に合った氣」で整えることが大切だと思えるようになりました。
「氣」を大切にすることで「好きな音楽」も変わりました。
変わったというよりかは「好きな音楽」と気づいたという方が正しい表現なのかもしれません。
若い頃「好きな音楽」のジャンルで人を決めつけていた自分が居たため、それが邪魔して本来の「氣が合う音楽」に気づかなかったのと、自分自身が変わったのもその理由だと思います。
「氣が合う音楽」を聴きながら、「氣が合うお香」を焚き、ブログを書いて居る時は最高です。
「音楽」も「お香」もその時の「氣分」があります。
「氣分」とは「氣を分ける」と書きますが、「氣分」という言葉は「氣」にはたくさんの種類があって、自分の中にどの種類の「氣」がどれだけの量存在しているかを表していると思います。
この種類の「氣」の量が多いときは「これが好き」、この種類の「氣」が少ないときは「これが嫌い」となる感じです。
「氣分」という言葉をそのように理解して、「氣」を感じることで、「今の自分に合う氣」を取り込むこともできるのです。
例えば、「お酒を注ぐ」という行為です。
「お酒」は片手で注ぐよりも、両手で注いだ方が「美味しい」と感じます。
私たちは「味覚」で経験した「記憶」で「美味しい」を感じていると勘違いしていますが、「味覚」は「記憶」ではありません。
そして「味覚」とは「舌」と「心」で「今」を感じるモノになります。
あなたは部下に片手で「ドバドバ」と注がれた酒を「氣分良く」飲めますか?
もし、「氣分悪い」と感じるならば日本人として正常な感覚です。
それは片手よりも、両手で行う方が「感謝」の「氣持ち」が入るからなのです。
片手で握手するよりも両手で握手する方が「感謝」の「氣持ち」が伝わります。
だから政治家は必ず「両手で握手」するのです。
握手の感覚は日本人なら誰でも違いがわかるでしょう。
この様に「氣」を感じることで日常のふとした動きにも「良さ」が感じ取れるようになります。
そしてあなたの日常の所作が「自分に氣の合う所作」に変わってきます。
日常の所作が「氣の合う」所作に変わることで、「氣」を取り込むことができるのです。
日常から「良い氣」、つまり「今の自分に合う氣」を取り込みましょう。
まとめ
- 「氣」は「いき」と読む
- 「氣」は戦後に「気」に変わった
- 「氣」という字はたくさんの言葉で使われる
- 昔の日本人は「氣」を感じていた
- 「良い氣」は「自分に合う氣」
- 「氣分」は「氣の種類」の分け前
- 「良い氣」は日本人が大切にしている所作に現れる
以上がまとめになります。
上記が「氣になる」人は自分の人生に生かしてみてください。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
コメント
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