目覚めた人へ~腑に落ちる感覚と気づきの瞑想法~

スピリチュアル

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

もうすっかり涼しい季節に入ったところも多いと思います。

私は7年前に統合失調症を発症して以来、ずっと人間関係に悩んで苦しみながら職場を転々としていました。

その時に「人生」というモノを深く考えさせられました。

そこで培った知識や経験を誰かの役に立てられないかと思い、こうしてブログに書き留めている次第です。

今回はスピリチュアルな目覚めに入った人の「気づき」「腑に落ちる」ついてお話しします。

あなたは「スピリチュアルな目覚め」がどういうモノか知っていますか?

目覚めると、自分の人生が大きく変わり「未来が明るくなる」イメージが持てます。

自分の目覚めに気づく人と気づかない人も居ます。

それは今までの人生で辛い経験をしたかどうかによります。

今まで辛い想いをしてきた人は目覚める瞬間が感覚的に理解できます。

これは人生のギャップによるものです。

人生のどん底から急激に上昇すると誰でもそれに気がつくはずです。

でも、自分の力だけで人生を這い上がったと勘違いしている人は目覚めたことに気がつかないでしょう。

人生が良くなるのも悪くなるのも決して自分事だけではなく、ソコに「神の御業」の様な力が働いている感覚を感じることが目覚めた自分に気づくということです。

「神の御業」と聞くとどこか非科学的な感じがする人も居るでしょうが、これこそが人生の真理を解く感覚なのです。

「神」が居る居ないはともかく、「神秘」を感じる力は人生においてとても役立ちます。

その一つに今回のテーマである「腑に落ちる」という気づきの感覚があります。

腑に落ちるとは

外国語と日本語の違い

古来の日本人は「腑」つまり「はらわた」に心が宿ると考えていました。

「腑に落ちる」とは「心のそこに落ちる」という意味であり、体全体で深く納得できたという感覚を表します。

心がどこに存在しているかは置いといて、英語でも似たような表現をしています。

英語訳:「Fall into the air」(腑に落ちる)

「落ちる」という点では「Fall into」(~に落ちる)の英語表現と一致しています。

「the air」の部分が日本の言葉と違っていますが、これもとても良く的確に現象を表現しています。

「腑に落ちる」を客観的に現象として上手く表現したのが英語で、主観的な心の現象として上手く表現できているのが日本語になっています。

欧米言語は「感情を入れない客観的分析」の表現に長けている気がします。

なので医学用語は「ドイツ語」だし他の科学用語でも「英語」などの表現が適していると思います。

それに対して、日本語は「心にじ~んと響く」ような表現が多いです。

昔の日本人が科学ではなく「心とからだ」の感覚をとても大切にしていたと考えられます。

「心とからだ」の感覚を大切にしていた国は他にもインドや中国、東南アジアなどもあります。

地理的、歴史的に見ればインドから東へ伝わった思想や文化が影響しているとも考えられます。

大和言葉

現代も日本で使われる大和言葉(訓読み)には、他の国にはない日本特有の奥ゆかしさを秘めています。

言葉にとても奥行きがあるのです。

このうえなくうつくしい

いたくこころをうごかされました

むねをうたれました

こよなくおもっております

まことのきもち

どうでしょうか?

現代ではアメリカのポップな文化が主流なので、刺激的で単純な表現をする若者が多い中、大和言葉を使うのにどこか「ためらい」があると思いますが、それを抜きにして考えてみてください。

「音」と「意味」のバランスがとても自然的で、口にするだけで「心」が清められそうな感じがしませんか?

日本語の50音には深い意味が込められているそうです。

「ふにおちる」の音の深い意味を一語一語調べてみることにしました。

と思ったら、いつも見ていた「林英臣」さんのブログに掲載されていた50音の意味が無くなっていました・・・

「便利に利用できていただけでもありがたいと思おう」

そしてお金を払って林英臣著「縄文のコトダマ」を買おう。

そこで「カタカムナ」で50音の意味を調べてみることに・・・

「カタカムナ」とは古代日本には精神文明が発達した世界があったとされていて、1949年に発見された古代文字です。

「カタカムナ」は学術的に認められていないのであまり使いたくありませんが・・・

調べてみると凄いことになりました。

50音:カタカムナの意味

「ふ」:増える

「に」:圧力

「お」:奥深く

「ち」:凝縮

「る」:留まる

つまり、カタカムナ的に言うと「腑に落ちる」は「圧力がかかって(理解が)(心の)奥深くに行き、(情報が)凝縮されて留まることで(理解が)増える」ということです。

結構しっくりきているのは私だけでしょうか?(笑)

ついでに「しっくり」も調べてみましょう。

「し」:示し

「つ」:集まる

「く」:引き寄る

「り」:離れる

これもなかなかしっくりきます。

しっくりは「良く調和して落ち着くさま」という意味ですが、カタカムナ的に言えば「示し(情報)があり、(集中する)集まると、(調和して)引き寄って、(忘れる)離れる」

最後の忘れるがポイントですね。

「腑に落ちた」ことは忘れにくいですが、「しっくり」きた程度ならすぐに忘れます。

つまりカタカムナ的にも普段使っている感覚的にも「腑に落ちる」は「情報」として留まりを見せ、「しっくり」きたことはすぐ忘れることで共通しています。

まあ正直「カタカムナ」をソコまで信じていませんが、調べてみると結構面白かったです。

「ふにおちる」の50音の意味は本を買った後に最新の記事でお知らせしますね。

腑に落ちる感覚の仕組み

腑に落ちることが頻繁に起きているならば、あなたはスピリチュアル的に目覚めている証拠です。

「腑に落ちる」とあなたの心に「気づきの喜び」が芽生えます。

「気づきの喜び」が芽生えると心が軽くなります。

心のモヤモヤも無くなります。

「腑に落ちる」と心にすこやかさを感じます。

だから「腑に落ちる」ことはとても大切な現象なのです。

ここでは「瞑想」によって能動的に自分から「腑に落ちる」(気づき)現象を呼び起こす方法をお伝えします。

まずは「腑に落ちる感覚の仕組み」を説明します。

「腑に落ちる」とは「知らせ」が「胸」から入り、腹の下へ「ストン」と落ちる感覚があります。

「胸」から入らないと「腑に落ちる」ことはありません。

なので「胸」を意識する必要があります。

あなたの「胸」は感情を「広げたり」、思考を「受け止めたり」します。

思考は基本的に「受け入れる」のではなく「受け止める」のです。

しかし、「受け止める」だけでは「腑に落ちる」ことはありません。

「胸」が許可を出した思考は「受け入れる」ことができます。

これは「本当に必要な知らせかどうか」をあなたの「胸」が判断しているのです。

あなたの「胸」は基本的に新しいことに「恐怖」を感じる様になってます。

なので新しい思考をいったん「受け止める」ことであなたの心の平穏を保っているのです。

「腑に落ちる」には、いったん「受け止めた」思考を「怖がらずに受け入れる」ことが大切です。

では「気づきの瞑想法」をお伝えします。

気づきの瞑想法

まず目を閉じます。

姿勢はあまり気にしないで楽にしてください。

次に「胸」に「手」を当ててください。

「手」を当てるのはちゃんと理由があります。

「手」は「気」が出る場所でもあり、「気」を感じ取ることも可能な万能パーツです。

それを「胸」に当てて「何か気づきがないか」を感じ取るのです。

そうすると様々な思考や邪念が頭をよぎると思います。

普通の瞑想ではその思考や邪念を無視するのですが、「気づきの瞑想法」ではこの思考を上手く利用します。

気になる思考が出てきたらそれをしっかり捕まえます。

瞑想するとわかると思いますが、思考をしっかりと捕まえないと、直ぐに忘れることになります。

思考を捕まえたら「なぜそれを考える必要があるの?」と自分に問います。

この時に大切なのは、自分に問う感覚よりも「神」や「仏」などの偉大な人に問う感覚を意識することです。

あくまでも「問い」に答えるのは自分だと思いますが、ここは「神仏」的な者が答えたとする方が信じる力が格段に上がり「腑に落ちやすく」なります。

ここが一番大切ですので、嘘だと思わないで信じてみてください。

そうすれば本当に「神秘」を感じれると思います。

答えが返って来たら、それを「胸」に入れるイメージをしてください。

あなたにとって本当に大切なことであれば直ぐに「腑に落ちる」ことが出来ます。

あなたにとって受け入れ難い事実であればあるほど「腑に落ちる」のは難しいです。

ですが、受け入れ難い事実が「腑に落ちる」と一気に心が晴れやかになります。

受け入れ難い事実を「腑に落とす」場合には「弱い自分を受け入れる」ことが大切です。

正確には事実は事実として「まこと」を「ありのまま」に受け入れる覚悟するということです。

「覚悟」とは「体が力む」イメージがありますが、本当は「脱力」です。

「覚悟」は諦める感覚に近いと思います。

背水の陣って言えばしっくり来ると思います。

逃げ場がなく受け入れるしかないという感覚です。

物事をあきらめ、そして悟るのです。

「覚悟」が先か「腑に落ちる」のが先かはまだ探求してませんが、受け入れがたい事実を受け入れて「腑に落ちる」には「覚悟」が必要になります。

そして思考が「胸」の中に入ってくる感覚をつかんで下さい。

その思考を「ふう~」と息を吐いて落とすのです。

言葉を的確に表現すれば「腑に落ちる」ではなく「腑に落とす」のです。

「ふう~」と息を吐くのはとても大切です。

めちゃくちゃ爆笑したあとに「ふう~」と息を吐く動作も、「胸」で広がり過ぎた「笑い」の感情を「心のそこに留める」働きをしています。

爆笑のあとの「ふう~」をすると、とても体が軽やかに感じます。

それぐらい大切なモノなので、「気づきの瞑想法」でも「ふう~」を利用します。

以上が私が実践している「気づきの瞑想法」です。

最後に・・・

人生において「腑に落ちる」現象はあまり重要視されてませんが、「腑に落ちる」ということは間違いなくあなたの人生を豊かにします。

私は「気づきの瞑想法」で日々「腑に落ちる」ことの大切さを実感しています。

「腑に落ちる」ことは誰にだってあるので、その感覚は覚えているはず。

「気づきの瞑想法」は誰にでもできると思ってますので「やってみよう」という気になった時にやってみてください。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

コメント

タイトルとURLをコピーしました