こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「好奇心」です。
最近私は好奇心が無くなっていることが悩みでした。
以前の様に何かに夢中になることがほとんどありませんでした。
そこで氣づいたことが「好奇心の大切さ」です。
大切なモノは無くなってから氣づくと言いますがまさにその通りだと思いました。
好奇心が強いと人生が楽しくなります。
その力はお金をも超えます。
考えてみてください。
無邪気な子供は遊びの天才です。
好奇心が旺盛でなんでもかんでも遊びに変えてしまいます。
まるでこの世を自分の遊び場の様に考えていると感じます。
まだお金の存在を知らない子供は人生を純粋に生きています。
その純粋さの根底にあるのが好奇心だと思います。
そしてお金の存在を知るに連れて、「お金が欲しい」という思考がどんどん芽生えていきます。
そうなると人生を楽しくするモノは「お金」だと錯覚してしまうのです。
実際にはお金がたくさんあって楽しいのは好奇心を満たすことが出来るからです。
好奇心が無いとお金があっても次第に退屈になることでしょう。
お金があって楽しいのは最初だけです。
お金があることに慣れて来ると退屈さを埋めるのは好奇心なのです。
人は「なぜ?」「もっと知りたい」という欲望を満たすことに幸福を感じます。
なぜならば、人類はそうやって進化して来たからです。
私たちのDNAに好奇心を満たすことで幸福を感じるセンサーが内蔵されているのです。
それは人以外の動物にも言えます。
私は猫を二匹飼っているのですが、大人猫と子猫が居ます。
猫を観察すると非常に面白いです。
大人猫は人生を悟ったかの様に静かで好奇心が少ないことがわかります。
子猫は周りにあるモノを何でも触ったり臭いを嗅いだりして好奇心が旺盛です。
どっちが人生楽しそうかというと子猫の方が見てて楽しそうです。
動物を見ても大人になるに連れて好奇心が無くなって行くということがわかります。
しかし、人間の社会は複雑です。
生物学的には大人になると好奇心が無くなって来るのが自然ですが、人間は大人でも好奇心に溢れている人は大勢居ます。
そういう大人は人生楽しそうです。
「成長」の観点から見ても好奇心は大切ですが、「楽しむ」という点で好奇心はとてつもない力を発揮するのです。
では好奇心を持って人生を楽しむにはどうすれば良いのだろうか?
好奇心を高めるには
自分は何も知らないと氣づく
大人になると知識が増え、人生を知った様な思考になります。
そうなると好奇心は下がります。
私が飼っている大人猫がその例です。
子供の時に体験したことが大人になると「あぁ、これね」と何でも知った様な感覚になり、どんどん落ち着いて来るのです。
「安心」という点ではそれも大切ですが、「楽しむ」という点でそれは邪魔な思考になります。
ソクラテスは人間に大切なこととして「無知の知」という言葉を残してますが、これは正しくそういった大人たちに向けて伝えたいことではないでしょうか。
何でも知った氣にならないで、「自分は何も知らないんだ」という氣になることで色んな情報が頭に入りやすくなるという考え方が大切です。
そうすると自分の知識に天井を作らなくなります。
次第に腰も低くなることでしょう。
知的な人が物腰柔らかな人が多いのはこの「自分の無知」に氣づいているからだと思います。
「自分の無知」に氣づくことこそが好奇心を持つ第一歩なのです。
第一歩を踏み出したら次のステップを踏みましょう。
6割の法則
海外の実験で好奇心が一番高まるのは、それについて体感で6割知ってると感じて居る時だそうです。
この「6割の法則」を知ればあなたの好奇心を刺激するモノが何か見つけやすくなります。
体感で「6割は知ってるな」と感じて居るモノを探せば良いのです。
そしてそれについて追及するのです。
そうすれば人生がもっと楽しくなることでしょう。
そして、「6割の法則」を理解すれば「6割」を作り出すことも出来ます。
何も知らないけど氣になることがあればどんどん学んで下さい。
もし学んだことが6割を超えたならば「無知の知」を活用して「まだまだ全く知らないんだ」と氣づくことでさらに好奇心を高めることが出来ます。
この繰り返しを行うことによって知識が深くなります。
知識が深くなると次のステップを踏むことが出来ます。
点と点が繋がる
一つのジャンルで知識を深めていくと、全く別のジャンルにも興味を持ちだします。
それは知識の深いところではジャンルは違うが共通するモノが必ず見つかるからです。
そうすると色々なジャンルに興味を持つことが出来ます。
実際に私は以前「血液型占い」が好きでそれが何故か「スピリチュアル」に繋がり、「占星術」「宗教」や「心理学」など様々なジャンルに広がりました。
この分野に共通するモノは「自分を知るためのツール」だと言うことです。
私は自分が好きになりたくて本当の自分を探していました。
それを追求することで様々なジャンルに興味を持てたのです。
その情報を集めている時は本当に楽しかったです。
もちろん今でも情報収集していますが、ちょっと知った氣になってしまっている自分が居ます。
ここで「無知の知」を活用しなければと思っているのが今日この頃です。
大いなる存在に呼び掛ける
ちょっとスピリチュアルな話になりますが、自分を育ませてくれる「大いなる存在」に「好奇心が欲しい」と呼びかけることも大切です。
実際に好奇心が減ってきた私もこの大いなる存在に呼び掛けることで「好奇心」についての好奇心が芽生えました。
ややこしいですが今は「好奇心」ということに興味を持って調べているのが楽しいと感じます。
そこから派生して他のことにも興味を持ち始めているのが現状です。
「大いなる存在」を信じ、それを意識することで様々な学びがあります。
心から信じることが出来れば全てのことに意味があると感じる様になります。
「好奇心」を失ってしまったのは「好奇心の大切さを知るため」だったのだと今は感じて居ます。
そして何よりこのブログを書いていること自体が好奇心を満たしている様に感じます。
なぜならば、このブログは私が書いているという自覚はなく、大いなる存在によって書かされているという感覚があるからです。
いつも書いている最中にどんどん頭に浮かぶことをスラスラ書き留めている内に、「なるほど!」と自分でも思うのです。
不思議な感覚ですが、これも大いなる存在を信じているから感じる感覚なのでしょう。
「自立」という言葉を追求すると、「他力」という言葉にたどり着きました。
「他力」とは仏教語で、本来の意味は「仏の力にありがたみを感じながら生きる」ということになります。
「他力本願」とは本来「仏の力を願う心」ということなのです。
仏教では「自立」は存在していなくて、人は皆「自然や他人によって生かされている」ということが真実と説かれています。
つまり本当の意味での「自立」はありえないのです。
そのことを知ると自分の意識が広がりを見せ、「あぁ、自分はなんてちっぽけなんだ」と自分を俯瞰して見ることにも繋がります。
意識を広げると感謝や愛は意識と共に広がりますが、妬み嫉みなどのマイナスな感情は自分の中心に縮みます。
その時にマイナスな感情に対して「ちっぽけ」という感覚になるのです。
マイナスな感情が内に縮まるのは「自分を見つめよ」というサインですが、それが「ちっぽけ」に見えた場合、「その感情は感謝で消せ」というメッセージにも聴こえます。
話はそれましたが、大いなる存在に呼び掛けることで好奇心を高めることは可能なのです。
最後に・・・
以上が好奇心を高める方法になります。
好奇心が高まると人生の楽しみは向上します。
何にでも興味を持って接することで人生を拓くことも出来るかもしれません。
もしあなたが「好奇心を高めたいと」思っているならば上記の方法を試してみることをお勧めします。
スマホやPCさえあれば何でも調べられる良い時代に産まれた私たちにとって「好奇心」を持っている人とそうでない人との差が大きく広がりつつあります。
自分の人生を楽しむためにも「好奇心」は高めていきたいところですね。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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