統合失調症で一番大切なことは何を信じるか

統失について

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回は「統合失調症で一番大切なこと」についてお伝えします。

それは「何を信じるか」ということです。

信じるモノによっては幻聴や妄想を食い止める働きをします。

人間関係も良くなります。

以前に「信じた方が上手く行くこと」という記事を書きましたが、今回は統合失調症の人に絞って信じるべきことを紹介していきます。

下記の記事は私のブログ記事の中でも有益性が高い方だと感じているので良かったらこの記事を読む前にこれも読んでみてください。

統合失調症で一番大切なこと

統合失調症の人は幻聴と妄想をあたかも真実かのように信じていまいます。

しかし、これが真実か否かを突き止めることは止めましょう。

真実なんてあって無いようなモノです。

誰も真実なんてわからないのですから。

真実か否かではなく、「何を信じたいか」ということがとても大切なのです。

あなたが信じたいのはぶっ飛んだ妄想ですか?

幻聴やテレパシーを信じたいですか?

それを信じて一体何になりますか?

あなたが体験している現実よりも、信じたい心にこそ真理は宿るのです。

真実と真理は違います。

真実は「嘘や偽りのないまこと」という意味です。

統合失調症で起こる幻聴や妄想は、あなたにとっての真実です。

しかし、それが実際に他人とっても同じ真実を共有しているというのは突き止めようがありません。

あなたの脳内だけで完結する分野なのか、実際に他人も自分の妄想の世界を生きているのかを知る必要はないのです。

こういった真実を追求するよりも、あなたの心に宿る真理を追究してください。

真理というのは「間違いでない道理」ということです。

道理とは「物事の道筋」です。

つまり、真理とは「あなたが歩むべき道」なのです。

何が真実か、よりも「歩むべき道は何か」を追求する方が、統合失調症を寛解する上で非常に重要になって来ます。

つまり真理(歩むべき道)を信じることこそあなたに一番必要なことなのです。

統合失調症が歩むべき道

あなたはどんな道を歩みたいですか?

その道は大切な人にも歩んで欲しいですか?

「歩むべき道」は世界中の人に勧められる道でないといけません。

そして、その道は終わりがあってはいけません。

「幸せになる道」はあなたの本質ではありません。

なぜなら「幸せ」というのは道半ばでも感じることが出来るからです。

そして「永遠の幸せ」というのも本質とかけ離れています。

「不幸」が存在しているからこそ「幸せ」が存在出来るのです。

あなたに起こる幸不幸は目指すべき道半ばに存在するのです。

ではあなたが「歩むべき道」とは一体何なのか?

それは「成長の道」です。

これは統合失調症だけに留まりませんが、統合失調症の人にとっては劇的に効果がある道になります。

これを大和言葉に変換すると「育む道」となります。

「育む」とはとても良い言葉です。

「成長」という言葉は硬く難しいイメージがありますが、「育む」という言葉にはやわらかく包み込むような優しいイメージがあります。

何でも「育み」と捉えることであなたの人生は動き出します。

「育み」という言葉を一音ずつ紐解いていくと下記の意味になります。

「はぐくみ」

は:発言、出る、発する

ぐ:結合(濁点は強調)

く:結合

み:本質、優しさ

まとめると「優しさの本質を出して結ぶ」という意味になります。

優しさの本質をとらえて自分のモノとして結んでこそ「育み」が起きるのです。

「み」で終わる大和言葉は多いです。

「勇み」「強み」「弱み」「妬み」「嫉み」「恨み」「ありがたみ」

これらも全て優しさの本質なのです。

これらの全てを発して結ぶ、それこそが「育み」なのです。

深い話になってしまいましたが簡単に言うと、「全ての感情と共に成長する」ということです。

あなたにはこれから色々な感情を体験します。

それを単なる体験で済ませるのではなく、その意味を深く考え受け入れてこそあなたの心は「育まれる」のです。

育むのはあなたの心だけではありません。

頭(知)心(情)体(健)を一体として捉え、これら三つを育んで行くことが「育む道」だと私は思います。

あなたが「育む道」を信じて歩んだならば幻聴や妄想にも良い影響を及ぼします。

その例をいくつか紹介します。

「育む道」と幻聴

幻聴も「育み」の一つと捉えることで下記の様な境地に立てます。

「死ね」という幻聴が「死を見つめて生を感じろ」という意味として捉えられる。

「アホ、バカ」という幻聴が「無知を知って学べ」という意味として捉えられる。

「(蔑む様な)笑い声」が「他人に左右されない信念を持て」という意味として捉えられる。

これは、聴こえた瞬間にそう捉えられる様になるのではなく、それらを克服するために私が実際に志した考え方になります。

そう志した時から悪口の幻聴は止みました。

もし悪口の幻聴の正体が悪霊で、悪霊がそう言っているとしてもこの様な信念を持ったら攻撃しづらくなります。

もし悪口の幻聴の正体が他人で、他人がそう言っているとしてもこの様な信念を持ったら攻撃しづらくなります。

もし悪口の幻聴の正体が自分で、自分がそう言っているとしてもこの様な信念を持ったらその思考をしなくなります。

もし悪口の幻聴の正体が神で、神が成長を促すためにそう言っているとしてもこの様な信念を持ったら悪口が必要無くなります。

悪口を誰が言ってても関係ありません。

「誰?」を追求することも意味のないことです。

そしていつしか幻聴が「悪口」から「導き」へと変わります。

自分自身が育まれたことによって自信が付き、自分で自分を戒めることが無くなった結果だと感じています。

「育み」を意識することで「導き」の声が聴こえるようになったのです。

そして次第にその「導き」も無くなります。

それは私が「育む道」を歩み始めたからだと信じています。

「育む道」を逸れた時のガイドとして「悪口」や「導き」が聴こえていたのです。

それも今は聴こえません。

稀に「導き」が聴こえる程度です。

あなたが「育む道」を歩めば幻聴は止むのです。

次に妄想についての例を紹介します。

「育む道」と妄想

いざ妄想を信じてしまったら日常の生活にも支障が出ます。

統合失調症でしっかりとした日常を生きるには妄想についても対処しなければならないです。

この方法としては妄想に対して「来るなら来い」という心と「どうでもいいや」という心のちょうど中間地点の心を持つ必要があります。

その心を持つために「育む道」を信じ歩む必要があるのです。

全ての妄想は「育むためにある」という意識をするだけで良いです。

そうすればきっとあなたの妄想から「大きな育み」を得られることでしょう。

「育み」を大切にすれば、ぶっ飛んだ妄想を信じてしまっても構いません。

妄想の中でも「育む」ことが出来るからです。

私はむしろ妄想の中でしか育まれないこともあると感じています。

妄想を「育み」として利用すると次第にあなたの妄想がファンタジー性を帯び、とても美しく幻想的な妄想を抱く様にまでなります。

そこまで到達することが出来たならば、妄想は怖くありません。

私自身「来るなら来い」という心はここで育みました。

そして妄想の中で様々な神秘を感じ、次第にそれも無くなって来ます。

長い間妄想の中で生きて来た私は、ふと現実を強く生きたいという衝動にかられました。

その時に妄想に対して「どうでもいいや」という心を育みました。

そして余計な妄想を信じることが無くなりました。

でも、体験した神秘や神がかり的な現象などは今でも信じています。

なぜなら信じたいからです。

信じるモノは真実か否かは関係なく、信じたいモノを信じれば良いと思います。

それがあなたの良心に重なるモノであれば、誰も信じない様な不思議なことを信じても良いのです。

そう信じる心を「信念」と呼ぶのです。

最後に・・・

以上が「統合失調症で一番大切なこと」になります。

「育む道」を歩んだら、「人の役に立つ」ということや「感謝やありがたみ」という幼き頃から言われている耳タコになった当たり前のことに重みを感じる様になります。

その当たり前のことこそが信じるに値することだと私は考えています。

これから先は「育む道」を歩んで「育み」を大切にしてください。

そうすればきっとあなたは育まれるはずです。

あなたを育む力はあなたの心に宿っています。

それこそが真理なのです。

「全ては育むためにある」という言葉を信じて下さい。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

コメント

  1. いるかる より:

    統合失調症患者です
    コメント失礼します。
    幻聴や妄想に押し潰され、限界を感じていた時にこのサイトと巡り会いました。
    周りに妄想や幻聴を理解してくれる人はいなくて自分1人で戦うしかないと思い、
    ずっと頑張っていましたが、
    限界でした。
    今はこのサイトをヒントに
    今まで蔑ろにしてきた自分自身と
    向き合い始めました。
    まだまだ寛解までは遠いかなと思いますが
    ベタインのサプリを始めたりと
    自分なりのペースで歩みはじめることができました。ありがとうございます。
    【育む道】面白いです。
    そんな捉え方もあったのかと驚きです
    とても深い記事ばかりで
    読むたびに新しい気づきがあります。
    きっと相当な感情を超えてきた方なのかなと思います。
    私が感じてる辛さなんてちっぽけに思えるほど、辛さを貫いてきたように感じます。
    読む前までは正直、死んでしまってもいいと思っていたのですが…
    このサイトの記事を読んでいたら
    何だか生きる気力を取り戻せたようです。
    これからも大切なことを忘れないよう
    読み返していきたいと思います。
    このサイトを作っていただき、
    本当にありがとうございます。
    このサイトに巡り会えてよかった。

    • ゆうき ゆうき より:

      初めまして☆
      コメントありがとうございます。
      もし僕の経験が少しでも役に立てたのでしたら、
      とても嬉しいです。
      人は死を見つめ、生を見つめ、命の在り方を見つめている時が、
      人生最大の好機である。
      そんな言葉が降りて来たことがあります。
      とても深いところまで行かれたように見受けられて、
      尊敬致します。
      共に自分なりのペースでやって行きましょうね

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