みことを愛することがまことの愛

人生マインド

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

タイトルにある通り、今回は「愛」についてお伝えします。

しょっぱなから言いますが、「愛」という言葉よりももっと良い言葉があります。

それは「慈しみ(いつくしみ)」です。

だから私が本当に伝えたい言葉は、

「みことをいつくしむことがまことのいつくしみ」

という言葉です。

「慈しみ」というと現代の日本人はなぜだかこう感じます。

「宗教臭い」

「古臭い」

それをもっと深いところで現わすと、

「言葉にするのが恥ずかしい」

と感じていると思います。

それはなぜでしょうか?

「慈しみ」とは簡単に言えば「母が子に対して感じるような深い感情」です。

「無条件の愛」とも言い換えられます。

日本人として「愛」という言葉を使うこと自体も、

「恥ずかしい」

という感情が芽生えます。

なぜでしょうか?

それはおそらく戦後の教育によって統一された感覚だと思います。

戦後の教育はほぼGHQの教育です。

戦勝国であるアメリカの圧力によって歴史も言葉も歪められてきました。

「志」という言葉が「夢」に置き換わり、「氣」という言葉も「気」と表現することで「氣」を封じ込める意味を持ちます。

一見何の意味があるのかわからない、でも本質を見極められえる日本人にとってとても大切な言葉を失ったのです。

なぜ日本人は「愛」とか「慈しみ」という言葉に

「恥ずかしい」

という感情を持たなければならなくなったでしょうか?

それは「愛」と「慈しみ」を日本人に持たれては困る人が居るからです。

だからその言葉を使うこと自体

「恥ずかしい」

という洗脳教育を受けて来たのです。

大衆を支配する側として、一番恐れていることが「反乱」です。

大衆が一致団結しては困るのです。

だから「愛」や「慈しみ」という言葉を日常会話から封印して、人と人が繋がるのを避けているのです。

外国では「I LOVE YOU」という言葉は日常会話で家族に良く使います。

夫婦間だけではなく、母にも「I LOVE YOU」、子にも「I LOVE YOU」と言います。

これが人間として極自然な在り方だと思いませんか?

日本人も昔は同じように日常会話で「愛してる」「慈しむ」と使っていたと思います。

現代の日本人は日常会話で恥ずかしくて使えなくても、心の言葉では使った方が良いと思います。

心の言葉とは口で発する音ではなく、脳内に響く独り言のような言葉を言います。

ぜひ心の言葉で「慈しみ」と言ってみてください。

きっと少しの「恥ずかしさ」と共に、何かが心に深く響くと思います。

「みことをいつくしむことがまことのいつくしみ」

次にこの言葉の意味をお伝えします。

「本当の愛とは何か?」

「まことの愛とは何か?」

好きという気持ち?

そんなに軽い言葉ではないですね。

許すこと?

う~ん、近いですね。

ではお答えします。

それは「御霊(みたま)の言葉を理解しようとする心」です。

「御霊」とは「魂」のことです。

「御霊」は万物に宿ります。

もちろん人にも宿ってます。

「じゃあ「御霊」の言葉って何?」

「魂って喋らないでしょ?」

いえ、違います。

「御霊」は喋ります。

「御霊」の言葉を「御言(みこと)」と言います。

聴こえないのは聴こうとしないからです。

心を静め、心穏やかになれば誰でも聴こえます。

ただ、現代の日常生活ではそういう状態になることが少ないだけです。

聴く姿勢が整わないだけなのです。

「何でしてくれないの?」

「何でそういうことするの?」

「何でそういうこと言うの?」

「何で何も言わないの?」

「何でそう考えているの?」

「何であなたはそうなの?」

相手に何かを求めているようじゃ「御言」は聴こえません。

心を静め、心穏やかに過ごしてみてください。

きっとあなたの口から発する言葉も変わって来るでしょう。

そうすれば自然と「御言」が聴こえてきます。

自分にも相手にも「御言」はあります。

相手の「御言」を聴いてあげて下さい。

その姿勢こそが「まことのいつくしみ」なのです。

「まことのいつくしみ」は消えることもあります。

現代の日本人は特に「まことのいつくしみ」が消えた状態が習慣化されています。

「御言」を聴こうとしないと「まことのいつくしみ」は消えるのです。

もちろん私も「まことのいつくしみ」が消えることは良くあります。

相手を変えようと試みたときに良く消えます。

でも、相手の「御言」を聴こうとすると「まことのいつくしみ」が現れるのです。

良く、「永遠の愛」とか言ったりしますが、あれは嘘です。

断続的に消えたり現れたりするからこそ「愛」を感じることの大切さが分かるのです。

「永遠の愛」とまではいかなくとも、「愛の感情」つまり「慈しみ」を出来るだけ長く頻繁に感じる状態に持って行くことは出来ると思います。

「私は子供をずっと愛しているよ」

という人も嘘つきになります。

というか「愛」を知ってません。

「子育て」は「愛」や「慈しみ」だけではありません。

もちろん「危険なことを教えるために怒る」のは「慈しみ」から来る感情ですが、「私の子供」という所有感は「慈しみ」ではありません。

もっと言うと、「子供を信頼していない親」が子供に対してとやかく言うことも「まことのいつくしみ」が消えた状態になります。

「まことのいつくしみ」が現れた状態だと、無言になるのが普通だからです。

話したとしても「一言」で済みます。

それが「まことのいつくしみ」の凄いところです。

全てを「一言」で表現するのですから、とても便利ですね。

「まことのいつくしみ」が無いと人は良く、自分を否定された感じがしたときに、言葉によって自分を慰めます。

相手の言葉を受け入れずに「いや、違う」と否定から入り、「自分はこうだから」と自分で自分を納得させる必要があるのです。

それは無意識に相手の言葉を受け入れたら「急激に自己肯定感」が低くなってしまうことを避けるための自己防衛反応です。

でも「まことのいつくしみ」があれば、「言い返さずに」相手の言葉を心に受け入れます。

心に入る前に「言い返してしまう」と「自分の成長」に繋がらないからです。

一旦受け入れてから一人で深く考えるのです。

「自分はこれ以上成長する必要はない」と本気で思っている人は「まことのいつくしみ」が消えた状態になります。

「まことのいつくしみ」はとても深いところにしか現れてくれないので、テンポ良く会話している時には消えてしまうことが多いです。

無言で居ることが「まことのいつくしみ」を出しやすい状態に持って行けます。

心でうるさくしてもダメです。

私が言う無言とは、心を静め、心穏やかになった状態のことを言います。

「相手に何を言おう」と脳をフル回転させてる状態では「まことのいつくしみ」は現れてくれません。

素直な心で「一言」だけ話すのです。

それが古き良き日本人が心掛けていた「つつましき姿」なのです。

日本語を話すことが出来る日本人ならだれでも「まことのいつくしみ」を出すことが出来ます。

ここで言う日本語とポップな外来語や略語や流行語ではなく、古くから伝わる大和言葉です。

「そんな古い言葉知らないよ」

と言う人も大和言葉の意味を知っているのです。

大和言葉はいわゆる「訓読み」です。

「いつくしみ」「つつましきすがた」も大和言葉になります。

著書【縄文のコトダマ】より「いつくしみ」の5文字の音の意味を調べました。

「いつくしみ」

い:生命、活動、強さ

つ:つながり続く

く:結合

し:静粛(せいしゅく)

み:本質、優しさ

まとめると「生命の本質が繋がり結合し心静かなこと」となります。

次に「みこと」の3文字の音を調べました。

「みこと」

み:本質、優しさ

こ:凝固

と:閉止(へいし)

「と」の「閉止」は節目を大事にするという言霊を宿しているそうです。

まとめると「大事に留めておく本質が固まったモノ」となります。

最後に「まこと」を調べました。

「まこと」

ま:真理、時間、空間

こ:凝固

と:閉止

まとめると「大事に留めておく真理が固まったモノ」となります。

「みこと」との違いは「ま」と「み」、つまり「本質と真理」です。

ついでに「本質と真理」の意味も調べました。

「本質」:そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。

「真理」:本当の事。間違いでない道理。

つまり

「みことをいつくしむことがまことのいつくしみ」

は「最も大事な根本の性質を心静かな状態で受け入れることが本当の姿」と言うことです。

つまり、私たちが日常会話でポップに喋っていることは「本当の姿」ではない「仮の姿」と言うことになります。

現代では「仮の姿」も生きる上で大切です。

でも「本当の姿」が置き去りにされることなく、大切にすることが出来れば日本から世界を変えることに繋がると信じています。

あなたが少しでも多くの時間「みこと」を聴き、「まことのいつくしみ」を持って生活することを願っています。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

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