こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回は統合失調症を寛解(かんかい)した人、「笑い」に対して恐怖感がある人に向けて情報を発信したいと思います。
統合失調症の寛解とは完治とほぼ一緒ですが、薬を止めたら再発する可能性があるため、薬の服用を続けている人も居ます。
それでも症状が出ることはなく、人とのコミュニケーションも上手く取れるようになるのが寛解した人の特徴です。
元々コミュニケーションが苦手な人も、統合失調症から立ち直ったことで自分に自信が持てるようになり、あれだけ恐怖だった人間関係が怖くなくなります。
統合失調症で悩まされた経験から、哲学的になる人も多いと思います。
そこで大切なことは「笑い」です。
私は、統合失調症を寛解した内の一人ですが、完全に治ったなと思ったきっかけが「笑うこと」でした。
今回は「笑い」について深堀したいと思います。
笑いとは?
「笑う門には福来る」と昔からことわざで言われている通り、常に笑顔の人は敵を作りません。
私は以前、人の笑い声が自分を蔑んでいるように聞こえてしまい、笑い声恐怖症になっていました。
しかし、自分が笑う様になってからは、そんなことはなくなりました。
そもそも「笑い」とは地球の全生命の中で唯一人間だけが行う感情になります。
なぜ人間は「笑う」のか?
そんな素朴な疑問を抱きました。
「笑い」と一括りに言っても、様々な「笑い方」があります。
思い出し笑い。
大笑い。
微笑み。
と言った笑いその物の名前や、
ニコニコ。
ニヤニヤ。
クスクス。
と言った擬音語で表現したりもします。
人を蔑むような笑いから、喜びの笑い、可笑しくて笑うことまで様々な感情が「笑い」には込められています。
笑い過ぎて涙するときもあります。
とても強烈な感情です。
なぜ人は笑うのでしょうか?
ずっと考えていましたが、精神的な理由は見つかりませんでした。
「笑い」には様々な感情があるのですが、どれも「笑い」と一括りにするととても難しいです。
まずは「大笑い」について考えてみました。
大笑い
そして「氣」の観点から考えてみました。
すると一つの感覚が浮かび上がりました。
それは「変な氣」を発するためだと言うことです。
「笑う」と人は「氣」を内から外に発します。
発する「氣」はおそらく「変な氣」だと考えます。
「変な氣」とは感情に変換できない使いどころがない「氣」のことです。
「変な氣を起こさないように」という言葉もあります。
これは、過ちを犯さないように注意してという言葉です。
そうすると「大笑い」した後スッキリするのもうなずけます。
以前私が他人の笑い声に恐怖を感じていたのは他人が発した「変な氣」を感じていたからだと考えられます。
可笑しい人や現象があった場合、人はそこから生まれた「変な氣」を受け入れたくないという反応を示すのです。
それが「大笑い」となって表に現れるのではないでしょうか。
次に「微笑み」について考えました。
微笑み
「微笑み」は幸せを表す「笑い」です。
口角が自然と上がり、目も潤んで来ます。
仏教には「微笑(みしょう)」という言葉があるのですが、これも幸せを表現した顔のことを指し、お釈迦様も説法を説いていたときに常にその様な顔つきをしていたそうです。
悟った人というのは常に「微笑み」が絶えない人なのかもしれませんね。
これは「笑い」というよりも「笑み」という方がしっくりきます。
この二つの言葉を【縄文のコトダマ】という著書を参考に一音一音紐解きました。
「笑い」
わ:円満、充足
ら:走る
い:生命、活動
「笑み」
え:分岐
み:本質、優しさ
どれもしっくり来る内容でした。
因みに「大笑い」と「微笑み」でも調べました。
「大笑い」
お:偉大、重要
お:偉大、重要
わ:円満、充足
ら:走る
い:生命、活動、強い
「微笑み」
ほ:緩やかな出現、秀でる
ほ:緩やかな出現、秀でる
え:分岐
み:本質、優しさ
「大笑い」は強く生きるための手段として考えられます。
「微笑み」は優しさの本質を表しているのではないかと考えられます。
因みに著書【古事記と言霊】では「え」は「知恵」を表していると書かれています。
そう考えると、「微笑む」ことはとても本質的な優しさを表す人間の「知恵」なのかもしれません。
「大笑い」の力強いエネルギーに対し、「微笑み」は緩やかにその場をくぐり抜ける「知恵」だと考えられます。
そして「微笑み」を「氣」の観点から見ると、「良い氣」、つまり「生氣」がすでに体に充満していて、それを深く味わっている状態だと感じます。
天皇陛下が常に「微笑み」を絶やさないのは、ビジネス的なモノではなく「生氣」が常に充満しているからではないでしょうか。
最後に「思い出し笑い」について考えました。
思い出し笑い
「思い出し笑い」は過去をさかのぼって起こります。
脳の中でタイムトラベルをしているのです。
なぜそれをするのかというと色々考えられますが、これも「変な氣」を出して「良い氣」を入れるための「氣」の循環作業だと感じます。
「笑い」だけじゃなく、過去の記憶をさかのぼって感じる感情は全て「氣」の循環作業だと感じます。
嫌な過去や、トラウマを思い出してしまうのは「それを真正面から受け入れなさい」というメッセージ性も感じます。
過去を思い出し、そこから発生する「氣」を素直な心で受け入れたときに精神的な成長がもたらされるのです。
「思い出し笑い」はその一躍を担っているのでしょう。
追記
自分を蔑む様な笑いに恐怖心を覚える方も居ると思います。
その根底には「人を蔑むことは良くないことだ」という深い思考があなたにはあるのです。
ちょっと考えてみてください。
「人を蔑まない人はこの世に存在しますか?」
答えはノーです。
人間であればふとした時に人を蔑むことがあるのです。
それを良くないことと認識してしまってはいけないのです。
「時々人を蔑んでしまうのが人間だ」と理解しましょう。
それが真実です。
これを変えることは出来ません。
それを頭で理解することによって、だんだんとその思考が心に沁み込んで行きます。
良い意味で諦める様な感覚になり、それが脱力を引き起こします。
その脱力は最終的には「覚悟」を生むのです。
「人を蔑むことは人を傷付けます」
それも真実です。
それが悪いことかと言えばそうではなく、善悪の判断から抜け出し、ただただ受け入れることが出来たらその感情が光へと変貌を遂げるのです。
そんなあなたも時には人を蔑み、傷付けているということを受け入れましょう。
そうすれば自然体のあなたがやって来ます。
最後に・・・
以上が「笑い」についての考察になります。
本当はもっとたくさん考察したかったのですが、長い文になってしまうためまた次の機会にお伝えしようと思います。
それと以前、「腑に落ちる」という大和言葉の意味を一音一音説明すると約束しましたのでお伝えします。
「腑に落ちる」
ふ:振動、上から下る
に:時間をかけて煮詰まる
お:偉大、重要
ち:継続
る:変わる
となります。
「時間をかけて煮詰まった重要なことが上(頭)から下(心のそこ)に行き、継続的に変わる」という意味だと考えられます。
面白いですね。
笑い声恐怖症の人は「笑い」について深く考えてみると「腑に落ちる」ことがあるかもしれません。
そんなあなたが常に「微笑み」を絶やさないようになることを願っています。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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