真我(しんが)という言葉が存在する。
仏教ではこれに気づくことが良いとされている。
真我は瞑想や修行によって気づくことが出来る。
それは御霊(魂)の中に存在すると言われてきた。
ただある。
真我に目覚めるとはそういうこと。
これは誰にでも起こりうる。
自分の体が自分じゃなく感じる。
少し俯瞰で観ている自分が居る。
それが真我だ。
辛い氣持ち、嬉しい氣持ち。
どちらも本当は幻想なんだ。
本当は何も感じていない。
でもそれじゃつまらない。
だから、御霊は色々なことを感じるために自分の体に入ってきた。
そして自分の体が生まれた。
自分が何も感じない存在だということを忘れて・・・
真我に目覚めるとこう思う。
幻想でも「感じること」はとても大切なこと。
だから幻想の世界を生きている。
映画マトリックスに出て来るような(真実と今までの幻想)どちらを選ぶか言われたらどう答えるべきか。
とても迷う。
でも、真実を知りたいという欲求には勝てないだろう。
そして真実を知った時、
きっと後悔するだろう。
何も感じない真実の自分。
幻想で生きる自分に一体何を伝えたいのだろうか。
とうとう深いところまでやって来てしまった。
それを突き止めたいが、きっと後悔しそうだ。
だから止めとく。
もう自分を見つめることも面倒になってきた。
ただただこの世界を感じたい。
たまにはもの悲しさが漂って来たところで終わりにしようか。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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