言葉によって心を傷付けたり、豊かにしたりする。
ありがとう。
そう言われると嬉しい。
音読みよりは訓読みがやさしい。
感謝。(音読み)
ありがたい。(訓読み)
心情。(音読み)
心の思い。(訓読み)
許可。(音読み)
許す。(訓読み)
中心(音読み)
真ん中、ミナカ(訓読み)
真実(音読み)
まこと(訓読み)
音読みは吐き捨てる様な感じがするが、訓読みは心に余韻を残す。
何処か奥ゆかしい気持ちになれる。
訓読みは、漢字が流行る前から文字ではなく言葉として使われてきた。
いわゆる大和言葉だ。
言葉を言の葉(コトノハ)という。
凝り固まった物を吐き出す。
そうゆう意味合いがあったそう。
大和言葉は心にジ~ンと来る。
数百年前の英語は優秀な言語学者じゃないと読むことが出来ない。
でも、1500年以上も前の古事記は、中学生でも頑張れば読める。
古事記は全て大和言葉で読むようになっている。
ここまで昔からの言語を今でも使用しているのは日本くらいだ。
自然と調和していた時代。
古き良き時代。
そのせいか、9歳まで日本語で育った人は虫の音を聴くと左脳が働くそうだ。
その後外国へ移り住んで、日本語を忘れてしまったとしてもそうなる。
世界中のほとんどの人が虫の音を聴くと右脳が働き、それを騒音として認識している。
これは遺伝ではない。
日本語で9歳まで育った外国人でも同じく虫の音を聴くと左脳が働く。
左脳が働くということは虫の音を声として認識している。
東南アジアの原始的な生活を営む民族に虫の音を聞かせたら、日本人と同じ反応をする。
つまり、自然と調和する言葉を使うと虫の音が声として聞こえる。
大和言葉は古い言葉だが、今でも使われている。
自然と調和していた時代から使われている言語を使っている私たちは、無意識に奥ゆかしい気持ちを大事にしている。
チョー楽しい。
この上なく楽しい。
どちらが心に深く響くかは言うまでもない。
コメント
[…] 大和言葉の重要性についてはこちらの記事を参照して下さい。 […]
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