失敗しないかな?心の奥で感じる不安を消し行動力を上げる方法

モチベアップ

「失敗しないかな?」

「もし失敗したらどうしよう・・・」

「先がわからないから不安だなぁ」

何か行動を起こす時には、どんな些細なことでも「不安」という心のブレーキがかかります。

不安とは突き詰めると「死」を暗示しています。

人間は生きるために「死」から避ける行動をとるのが自然です。

この流れは変えられません。

では「不安」を心から取り除くことは不可能なのか?

ここからは理論的な面白い話になります。

私はこの方法で「不安」を感じずに行動力を上げました。

まず、「不安について」説明をします。

不安について

不安は生きるために感じる

「失敗という不安」は人間が生きるためには必要な感覚です。

「もし失敗したら死んでしまう」ということからは避けなければいけません。

「不安」という感覚は人間が大古から「死」と向かい合わせに生きて来た時代に「生死を左右する選択」をする際にとても役に立ちました。

「失敗」を想像することから来る「不安」は精神階層として「死」と結びついているのです。

だから「失敗」を想像すると「恐怖」を感じる様になっています。

その「恐怖」の正体が「死」なのです。

「死」を感じることで危険な行動を避けようとする人間の生きる意志が「不安」を呼び覚まします。

つまり「不安」とは生きるために感じているのです。

現代において不安はほとんど必要ない

ですが現代の安全な社会では「生死を左右する選択」はほとんどありません。

現実問題として、現代の人間社会では「失敗」が必ずしも「死」に結び付くことはないのです。

それどころか人生において「失敗」のほとんどが「死」と無関係です。

それなのに私たちはなぜこんなにも「不安」を感じる必要があるのでしょうか?

それは様々な発展を遂げて来た文明と違って、人間の精神は全く進歩しておらず、むしろ退化している面もあるからです。

今の文明に耐えられる精神を持ち合わせてないのです。

あなたの精神は「生死を左右する選択」を現代の安全な社会においても必要だと勘違いしているのです。

精神は危険が多かった時代のままで、社会は文明を築き上げ安全を確保しました。

このギャップが「余計な不安」の正体なのです。

この精神の仕組み自体を急速に進化させることは出来ません。

しかし、大古から備わる精神の仕組みを利用して「余計な不安」を消すことが出来るのです。

それにはまず現代文明におんぶに抱っこの状態が「幸せ」という本質から離れていることに気づきましょう。

「昔より生活が楽になった」と言っても、仕事は昔よりも複雑です。

そして、人間関係も文明の発達によって繋がりが希薄になりました。

ネットという文明において世界的に繋がりを持てるという面では評価できるところもありますが、それでも昔の様に村で子供を支える仕組みというのがどんどん無くなって来ています。

それどころか、スマホの発明によって人との会話の時間がかなり減った気がします。

私はその文明を批判してはいません。

その文明に人間の精神発達が置き去りにされているのを批判しているのです。

もっと現代の文明に合った精神を身につけなければいけません。

文明に合った精神とは「楽したい」という文明発展の時代から備わって来た精神を「自分らしくありたい」という現代の社会にマッチした考え方を追求すなければなりません。

「楽したい」という欲求は様々なモノを発明してきました。

しかし、多くの雇われ社員を生み出しました。

雇われ社員の多くは「楽したい」から何かを発明するのではなく、ただ他人が発明した上に乗っかり「今も楽したい」という将来的な情熱を持ち合わせてないのです。

そういう人が増えると社会は益々混とんとしてきます。

多くの雇われ社員が「自分らしさ」を見失ってしまうのです。

会社に時間を捧げることで「安心」という給料をもらう。

そこに「自分らしさ」は必要ないのです。

しかし、ネット社会が発達した現代において、自分自身の好きなことを発信してお金を稼ぐ人が増えて来ました。

これは雇われ社員だった頃に失ってしまった「自分らしさ」を取り戻すことに繋がっています。

自分を中心とする小さなコミュニティが増え続けていて、社会が「自分らしさとは何か?」という疑問を問いかける様になりました。

現代の文明に合った精神にするために「余計な不安」を取り除く必要があります。

それは「生死を左右する選択」が現代の社会ではほとんどないからです。

生物学的に「死ないとわかっていれば不安は必要ない」のです。

では「失敗」を想像することで感じる「不安」という心のブレーキを外すにはどうしたらよいのでしょうか?

人の役に立つという想いを持つ

例えば、起業しようと思っても、「失敗したら極貧生活が待っているのではないか?」という「不安」があります。

これは失敗によって「生きることが容易ではなくなる」という想像をすることになります。

これは直接的には関係なくても無意識の中では「死」を連想してしまっているのです。

私たちは「楽して生きたい」という欲求があります。

「生きることが容易ではなくなる」状態からなるべく避けたいのです。

起業したら「楽して生きれる」という考えがあります。

でもそれと同時に起業したら「苦労して生きる」という考えもあります。

これでは行動力は上がりません。

そもそも起業するために一番大切な動機は「人の役に立つ」ということです。

「人の役に立つ」という強い想いを持っている人は即座に行動することが出来ます。

決して「楽したい」からという考えで起業してはいけません。

なぜなら「自分が楽したい」という想いは「死」に打ち勝つことが出来ません。

それとは反対に、「人の役に立つ」という想いは「死」に打ち勝つことが出来ます。

つまり「不安」に打ち勝つのです。

人間には「生きる」という全地球生命と同じ使命があります。

「人の役に立つ」ということは「他人の生」に関与しているからです。

「他人の生」に関すること、つまり「人の役に立つ」ことを考えると自分にも「生」のエネルギーが湧いて来ます。

「死」に打ち勝つことが出来るのは「生」だけです。

つまり、何か新しいことを始めようと思った時に不安を感じたら、人のためを第一に考えて行動すれば良いのです。

起業しようとするときには必ず「不安」という壁が立ちはだかります。

「自分で良いと思ったことだけど、既に多くの人に先を越されている」

「本当にそれで収入があるのだろうか?」

「それをするのにはとてつもなく時間がかかりそうだ」

そういう思考が新しいことを始めるのを妨げる壁として出現します。

しかし、真に「人の役に立ちたい」という想いはその壁すらも打ち壊すのです。

NPO法人の人が、収入も少ない上に不便なアフリカで人を手助けしていることの動機は「人の役に立つ」ということから来ています。

「人の役に立つ」という動機は「極貧生活」にも耐えられる精神を内に宿します。

なので「人の役に立つ」という想いを抱いて成功している起業家たちは「裕福な生活」をしていて「極貧生活」に耐えられないと思われがちだが、彼らこそ「極貧生活」に耐えられる精神を持っているのです。

「極貧生活」にも耐えられる精神を持てばあなたの可能性は無限に広がります。

「人の役に立つ」という想いこそが「失敗を想像することで感じる不安」に打ち勝つ唯一の方法なのです。

最後に・・・

「失敗から来る不安」に打ち勝つことが出来たら、あなたの人生は大きな可能性が広がります。

「不安」が無くなればあとは行動するのみです。

何でも恐れずにやってみて下さい。

たとえ失敗したとしても進み続けて下さい。

あなたが費やした時間やお金は決して無駄にはならないです。

点と点がどこかで繋がりを見せ、これまでの経験が更なる奥行きを見せてくれるでしょう。

そして、情熱的に行動している時に「生きている実感」を感じさせ、それこそがあなたが求めている「幸せ」の本質です。

「人の役に立つ」=「生きている実感」=「真の幸せ」なのです。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

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