「あ~面倒臭い」
「ボケーっとしたい」
「何もしたくない」
そういう時って誰にでもありますよね。
いわゆる「堕落した自分」です。
そういう時って心の奥底では「堕落した自分」に罪の意識を感じていると思います。
でもあえて「堕落した自分」に感謝してみてください。
そしたら不思議と「堕落って幸せだなぁ」と感じます。
の~んびりと何もしないで過ごす時間を罪の意識無く過ごせたら最高ですよ。
「堕落は悪いこと」だという社会の常識から抜け出すととてもすこやかに育ちます。
あなたはすこやかに育ちたいですか?
大人でもすこやかさは大切だし、まだ成長の途中です。
すこやか:病気をせず、健康で丈夫なこと
社会の常識は「秩序」をもたらしますがその代わりに「ストレス」ももたらします。
日々ストレスを感じて生きていかなければならない私たちにとって「罪なき堕落」はストレスから解放されます。
動物たちも「罪なき堕落」を大切にしています。
せっかく「堕落」するなら「罪の意識なしで堕落」してもバチは当たりません。
誰に何と言われようとも「堕落」に罪はないはずです。
「堕落」することで誰かに多少迷惑をかけても問題ありません。
なぜなら私たち人間は「迷惑を掛け合って生きている」からです。
「迷惑をかけるな」という常識は大切なモノですが、「堕落」することでかける迷惑は大したことではないのです。
それどころか「罪なき堕落」をすることで様々なメリットがあります。
「罪なき堕落」のメリット
自分らしく居れる
人間は「自分らしく居れる時が一番幸せ」という考え方があります。
「堕落」している人間は最もエゴに忠実です。
動物は食うモノに困らなければ「堕落」していくのが普通です。
動物園に居る動物を観ればそれがわかります。
人間も動物的な欲求があります。
人間らしくあろうとしても、この欲求は無くなりません。
食うモノに困らなければ「堕落」したいのです。
それが「動物的な自分らしさ」なのです。
「動物的な自分らしさ」を満たすと、日々のストレスから解放されます。
日々働いてお金を稼いでいる時は「堕落」は禁物ですが、休みの日くらいは「堕落」してもバチは当たりません。
「休みの日を有効活用しろ」と主張した情報が間違っているとは思いませんが、「堕落」したい時は誰だってあります。
そういう日は「罪なき堕落」をしてください。
きっと「自分らしく居る」ことで精神的にすこやかに過ごせることでしょう。
純粋な情熱が生まれる
「堕落」した生活を送っていると、ふとしたことから純粋な情熱が生まれる時があります。
まるで「堕落」で体が充電され、エネルギーが満タンになったかの様な感覚です。
「堕落」することで「動物的な自分らしさ」を表現する欲求が満たされ、次に「人間的な自分らしさ」を表現したくなるのです。
「人間的な自分らしさ」とは「人の役に立つ」という使命を持って行動するということです。
役に立つ方法はそれぞれ違いますが、「人の役に立ちたい」という情熱は人間の本質です。
その純粋な情熱が湧いて来るのは「堕落した自分」を受け入れたからです。
「堕落した自分」を受け入れると、しまいには「堕落」に飽きてしまいます。
ずっと「堕落」した生活を送っている人は、心の奥底で「堕落した自分」を受け入れていないのです。
「堕落」に飽きたころが充電が満タンになったサインです。
そのサインが出たら、今度は情熱的に行動しましょう。
次は堕落した自分に感謝することについて説明します。
堕落した自分に感謝する
人間こそ「堕落」できる自分に感謝するべきだと思います。
「堕落」している自分に感謝するということは「素の自分」に感謝することに繋がります。
「堕落」している自分は最も「素」の状態に近いです。
「素」の自分は通常は無意識の領域に含まれますが、「堕落」している自分に感謝することで「素の自分」が意識下に置かれます。
そして「自分らしさ」が自然に出るのです。
その「堕落した自分らしさ」こそが「動物的な自分のエゴ(本能)に忠実」だと言えます。
先進国の日本では食うモノには困りません。
ならば「堕落」するのが動物的に正しい在り方なのです。
人間らしい在り方をするには、もっと根本的な動物的な正しい在り方を満たさなければいけません。
人は人である前に動物なのです。
なので食う、寝る、これらを満たしてやらなければ本来の人間の輝きは出ません。
たまの休みにゴロゴロ過ごしている人は、そんな自分に感謝してみてください。
ゴロゴロしているあなたは体に奥底に存在する動物的な欲求を満たしてあげているのです。
食ったら寝る。
それこそが真の動物的な欲求なのです。
「堕落した」自分を浅はかに正当化するのでは足りません。
深く感謝するのです。
そして、真に動物的欲求を満たすと「堕落」に飽きてきます。
そして気づくのです。
私は「人間だ」と。
そうなればあなたは「人間的な欲求」を求め始めます。
それこそが「人の役に立つ」ということなのです。
そうなれば、あなたは「動物的なエゴ」を上手く操ることが出来ます。
食うに困らない社会においての「動物的なエゴ」とは「堕落」です。
「動物的なエゴ」は満たされると小さくなります。
小さくなった「エゴ」に操られるのではなく操ることが出来ます。
「動物的なエゴ」つまり「堕落」を操るというのは具体的にどういうことか。
それは、「堕落してはいけない」を思いながら生活するスタイルから、「堕落しても良いが今は堕落したくない」という想いに変わります。
「堕落してはいけない」という考え方はある意味「堕落」に操られています。
「堕落は悪いことじゃないけど今は堕落したくない」と心から思うことで「堕落」から解放され、真の人間的な欲求に目を向けることが出来るのです。
「堕落」しないことが人間らしいのではなく、「堕落」に飽きたのが人間らしい生き方になります。
仕事務めで日々大変な想いをしている方は「休みの日の堕落」を頭で正当化していると思いますが、感謝はしていないはず。
「堕落」した自分に心から感謝して下さい。
もっと言うと「堕落している動物的な自分」を受け入れて感謝するのです。
もし、真の意味で高等生物である人間らしい生き方を望むならばあえて「堕落」を追求しましょう。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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