※この記事は男女平等や女性の社会進出が叫ばれる現代においての「草食男子」や「精神を病んでいる男」の心の奥底に眠るオスとしての本能を引き出すために書いた文になります。あえて偏った見解を載せているため一部不快な表現などがあったら先にお詫び申し上げます。
人間はサルの時代から群れのボスが居たと考えられる。
群れのボスは確実にオスしか居ない。
そして、群れの中には負けを認めるオスが居た。
しかし、その中から後のボスとなるサルが出て来る。
そいつはいったん負けを認めたものの、再度ボスになろうと野心を抱いていた。
そしてボスとの一騎打ちが始まる。
そこでボスの座を勝ち取るのだ。
ボスに立ち向かおうとする精神と、ボスに負けない肉体を持ってして勝利を収めることが出来る。
精神と肉体が逞しくないとボスにはなれない。
オスは生まれた頃からボスになりたいと思っている。
でもいつしか自分より強い精神と肉体を持ったオスを目の当たりにした時に、「自分ではかなわないや」と諦める。
そう思った瞬間からオスとして負けを認めたのだ。
これは人間の世界でも見られる。
幼い頃、喧嘩が強い男がリーダー各になる。
社会に出ると能力のある男がリーダー各になる。
もちろん現代は女のリーダーも居るが、それは人間の歴史全体から見たら極少数だ。
昔はリーダーと言えば男なのだ。
男には上を目指すという競争精神がDNAに刻まれている。
反対に女性は調和を目指すことがDNAに刻まれている。
社会が複雑になって来た現在では競争精神のある女性も居るし、調和を目指す男性も居る。
こういった人を否定するつもりはないが、私は男として「精神と肉体の逞しさ」を追求する必要があると気づいた。
「動じない心と身体」を身に付けるためには、精神と肉体を鍛える必要がある。
男として他の男に負けを認めるのはかなりの屈辱感をもたらす。
しかし、いったん負けを認めてしまっても野心を持ち続ければ再度奮起することが出来る。
野心は男にとってのエネルギー源の一つだ。
現代の社会では世の中は勝ち負けじゃなく調和を目指す社会が必要不可欠だと言われている。
しかし、資本主義である以上競争に打ち勝つことも必要不可欠である。
全てが調和で満たされた社会を実現出来れば競争は必要無くなるが、そんな社会は私たちが生きている内にはおそらくたどり着くことが出来ないだろう。
そう考えた場合、やはりこの競争社会を強く生き抜く必要がある。
競争を求める社会は男として生物的な本能にピタッと重なるため、極自然に生きることにも繋がる。
男女平等が叫ばれる以前の歴史的観点から見て、女が男を支え、男がリーダーとなって今の社会を構築して来た。
男は誰しも頂点を目指したいという願望が隠れている証拠だ。
頂点まで登り詰める人数は限られているが、誰でも野心は持てる。
「いつか自分が頂点に立っているはずだ」という精神こそが男としての価値を高めるのではないか。
そして、頂点に立つ人には大きな責任がある。
それは女性によって調和された社会を目指すというものだ。
常に頂点で君臨し続けることに酔ってはならない。
上に立ったからこそ下の者も全ての人が勝利を収める様な社会を構築していく義務がある。
それがボスザルと人間の男の大きな違いだ。
人間には感謝という感情がある。
下の者に感謝することで、上からの目線ではなく自分が一番下になって物事を見極めることが出来る。
それが出来ている人が日本に存在する。
それは天皇陛下だ。
天皇陛下は全ての国民に寄り添い感謝の気持ちを持っている。
天皇陛下こそ日本人の男が目指す真のリーダーの姿だ。
「天皇陛下万歳!」
その言葉を口にすると「戦争」をイメージしてしまう時代は終わりを迎えている。
「平和」を求めるからこそ、天皇陛下の人格に注目する必要があるのだ。
「天皇陛下万歳!!」
その言葉を口にすると「平和」をイメージする時代が訪れて欲しいものだ。
頂点を目指し、さらに底辺の気持ちに寄り添うことが今も昔も人間の調和された社会を実現するのには不可欠である。
男なら頂点に登り詰めよ。
そして全てを上から目線ではなく、下から目線で見よ。
それが社会の「底上げ」に繋がるのだ。
ピラミッド型を円型にするのが調和の社会だ。
円には上も下もない。
あるのは個性だけだ。
全ての個性を尊重し、競争から離脱した社会、それでいて怠ける人も少ない。
なぜなら自分の個性が尊重されることに喜びを感じるからだ。
人間は自分を好きになりたい。
自分を好きになるためには怠けるよりも個性を表現する方がメリットが大きい。
国民全体でそういう意識が高まったらきっと、競争社会ではなくても怠ける人も減る。
しかし何度も言うが男たちは今、競争社会を生きている。
これは紛れもない現実だ。
だからこそ「底上げ」を目指すために競争に打ち勝つのだ。
結果はどうなっても良い。
目指すモノが重要だ。
上に君臨し続けることは目指すべきではない。
上に立ったからこそ出来る「底上げ」こそが人間の男が目指す頂点の本質だ。
そしてそれが実現された社会では女が「調和社会」を引っ張って行く。
男は女に社会構築のバトンを渡すのだ。
その時に初めて世界に「真の平和」が訪れるだろう。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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