あなたは自分の周りで起きた悪い出来事に対して素直に反応しすぎていませんか?
人は良い出来事が起きれば「嬉しい」と感じ、悪い出来事が起きれば「嫌だ」と感じます。
しかし、世の中には悪い出来事が起きても「嬉しい」と感じれる人が存在します。
「そんな人どこにも居ないよ」
と思ったあなたに一つのエピソードをお伝えします。
内面の自由を手に入れた男
第二次世界大戦の頃、ナチスドイツはユダヤ人をアウシュヴィッツ収容所に監禁し、大勢の人を迫害をしてきました。
その中に、ビクター・フランクルという心理学者のユダヤ人が居ました。
ビクター・フランクルは後に開放され時に、収容所に入れられた時のことを「自分はずっと自由だった」と述べた逸話があります。
彼は収容所の中で筆舌に尽くしがたいことをされ、家族のほとんどがそこで殺されました。
にもかかわらず彼は内面の中で自由を手にしていたのです。
その後ビクター・フランクルは、「内面の自由」をテーマとした本を何冊も書き留めました。
その中で彼は「人は刺激と反応の間に本当の自由がある」と述べています。
精神構造を深く理解することで、悪い出来事に対して「良い感情を選択」することが出来るのです。
では刺激と反応の間に存在する「本当の自由」を感じるためにはどうすれば良いのでしょうか?
本当の自由を獲得する方法
精神構造を理解する
あなたの内面に存在する「本当の自由」を獲得するためには、あなたの精神構造を深く理解しなければいけません。
そのためには外部で起きた出来事に対して沸き起こる感情との間には「思考」があるということを感覚的に理解することが大切です。
例えば「コップの水をこぼしてしまった時」に、人はまず現象としてそれを認識します。
そして、その瞬間に「水をこぼしていまったということは、周りの物が濡れてしまうし、布巾で水を拭かないといけない、それが面倒くさい」という思考が訪れます。
この思考はとても刹那的で言葉として認識できないスピード感で考えるために、普段あなたはその思考を意識的に認識することすらしません。
それを表したモノが下の図です。
結論を言いますと、その思考こそが「本当の自由」の正体です。
外部の出来事「刺激」に対して沸き起こる感情「反応」は繋がっている様に感じますが、その間には刹那的な「思考の間」が存在するのです。
「思考の間」の3つの縛り
「思考の間」で刹那的に行われる思考を自在にコントロールすることで内面の自由を獲得することが出来ます。
内面の自由を得ると、どんな出来事が起こっても湧き上がる感情を自在に選択することが出来るのです。
それこそが「本当の自由」なのです。
では、「思考の間」で刹那的に行う思考を自在にコントロールするにはどうすれば良いのでしょうか?
そのためには「思考の間」に存在する3つの「縛り」を解く必要があります。
その「縛り」とは「過去の経験の縛り」と「情報の縛り」、「形の縛り」があります。
まずは「過去の経験の縛り」についてお伝えします。
「思考の間」では通常は過去の経験に基づいて思考されます。
幼い頃「コップの水を初めてこぼした時」には「嫌な感情」が芽生えることはありません。
「コップの水をこぼす」ことで「親に叱られる」という経験をしたり、「自分で後処理をする」という経験を積み重ねて行くことで、「コップの水をこぼすことは後々面倒くさいこと」という認識をするのです。
つまり、「思考の間」で行われる思考は過去の経験に縛られていると言えるのです。
では初めて起きた悪い出来事に対して「嫌な感情」は芽生えないかというとそうではありません。
ここで一つの例を元に「情報の縛り」と「形の縛り」の両方について説明します。
その例に「初めての受験に失敗する」というものがあります。
初めての受験に失敗したとき「嫌な感情」が芽生えるはずです。
この時、私たちは受験に失敗するということが何を意味するのかということを失敗する前から「情報」として知っています。
その「情報」とは「受験に失敗するということは、あなたの努力が形となって実らなかった」ということです。
その「情報」に縛られていることで反射的に「受験に失敗したことは嫌なことだ」と思考してしまうのです。
つまり「思考の間」で行われる思考は情報によって縛られているということです。
もちろん受験のために勉強したこと自体は将来何かの役に立つ可能性はあります。
しかし受験に失敗すると、合格という「成功の形」を得ることが出来ません。
実生活において私たちは「形無い精神的なモノ」よりも「形あるモノ」として何かを得るために行動しています。
それは「形の無い精神的なモノ」を追い求めるよりも「形あるモノ」の方が成功として非常にわかりやすいからです。
仕事でも「人の役に立つ」よりも「お金」を第一目標にしている人が多いのも、「お金」という形ある物が「幸せ」を測る上で非常にわかりやすいからだと言えます。
しかし、このわかりやすい「形あるモノ」は「幸せを測る」本質ではありません。
この「形あるモノ」を本質であると勘違いすることで、「思考の間」で行われる思考は「形」に縛られているのです。
では「思考の間」における「過去の経験の縛り」「知識の縛り」「形の縛り」の3つの縛りを解くにはいったいどうすれば良いのでしょうか?
3つの縛りを解く
これら3つの縛りを解く方法は3つあります。
3という数字が多くでややこしいですね(笑)
この3つの方法は1つの縛りに対してそれぞれの単体の対策ではなく、3つの縛りを同時に解決することになります。
その方法とは「今の感情に意識を向ける」「刺激に対して感情が芽生えるまでの反応時間を意識する」「刹那的な思考を言語化する」という方法です。
刺激が起こってから感情が芽生えるまでの反応時間はほんのわずかな時間しかありません。
このわずかな時間の間に存在する刹那的な思考をとらえて意識化するのは容易ではありません。
しかし、刺激が起こった時に「今の感情に意識を向ける」ことで、このわずかな時間を感覚的にとらえることが出来ます。
これは誰でも最初から上手く出来る訳ではありません。
訓練することによってその感覚を研ぎ澄ませていくのです。
感情が芽生えるまでの反応時間が感覚的に捉えられるようになったら、「その反応時間を意識する」ことで、「思考の間」というわずかなスペースを認識することが出来ます。
「思考の間」が存在することを認識できたらそこで3つの縛りによって「反射的に考えてしまう思考を言語化」しましょう。
もちろん瞬間的に言語化をするのは不可能なことなので、感情が芽生えた後でじっくりと時間をかけて行う必要があります。
それが習慣になれば、あなたの「思考の間」で行われる思考のクセを知ることが出来ます。
例えば誰かに「怒られた」という刺激があった場合、「怒られている自分は間違ってない」という思考をしたり「怒られている自分が間違っているんだ」という思考をしたりします。
これは刹那的な思考なので、意識して言語化しなければ無意識の領域に追いやられてしまいます。
この「思考の間」で行われる刹那的な思考が無意識の領域に追いやられてしまう前に、思考を言語化することで自分が抱えている問題の本質が見えてくるのです。
「怒られた」刺激に対して「自分は間違ってない」ととらえる思考の裏には、「正義の主張」という思考が隠されています。
こういう思考の場合には「怒り」という感情が芽生えます。
「怒り」は「自分の中の正義が正しいことを証明したい」と思うことで生まれる感情です。
この例で考えると、自分を怒った人もその人自身の正義が正しいことを証明したいという欲求があるので、お互いに「正義の主張」同士がぶつかり合いをするのです。
この時の問題は正義を主張しないと気が済まないという思考です。
そもそも正義とは絶対的なモノではなくて主体的なモノです。
それぞれが自分の正義を個々に持っているという視野があれば、怒りという感情は芽生えないはずです。
怒りという感情は動物で例えると相手を排除する時や威嚇(いかく)する時ぐらいしか使われません。
なので人としても動物としても「正義の主張」を「怒り」としてぶつけるのではなく、「建設的な主張」を「情熱」でぶつける様に務めることで「怒り」の感情から解放され「本当の自由」に一歩近づけるのです。
「建設的な主張」とはWin-Winを考えて、相手の気持ちを奮い立たす言葉を発するということです。
良く「怒りは政治にぶつけましょう」と言われます。
私も以前はその考えに賛成していましたし、「怒り」が原動力となって政治が良い方向に向かう可能性を否定しませんが、今では「怒り」よりも「建設的な主張」を政治にぶつけるべきだと考えています。
「政治の失敗」に対して怒るのではなく、「政治の成功」へ向けて何をすべきかという「建設的な主張」をするのです。
時々、「建設的な主張」を怒りを込めて演説している様に見える政治家が居ますがそれは「怒り」ではなく、「情熱」が元となっているのです。
一方で「怒られる」ことで「自分が間違ってた」ととらえる思考の裏には、「自分には価値が無い」という思考が隠されています。
こういう思考の場合には「悲しみ」という感情が芽生えます。
「怒られる」ことで「自分には価値が無い」と思考してしまうのは、自己肯定感の低さから来ることが多いです。
「悲しみ」の感情は「怒り」と違ってエネルギー的に弱い性質を持っているので、受け入れることが容易です。
まずは「自分は価値が無いと思っている」ことを受け入れましょう。
受け入れるだけで自動的にそれに反発するエネルギーが生まれます。
そのエネルギーは「やる気」といったプラスのエネルギーのことです。
このとき精神の階層では「自分は価値が無い➡いったん受け入れる➡でもそれは本当の自分じゃない➡やる気が出る」といった構造になっていると思います。
刺激を受けたとき「刹那的な思考を言語化する」ことでそれを受け入れることが出来る様になるのです。
これは「悲しみ」という感情から解放され、「本当の自由」を手にすることが出来るということを意味しています。
それが出来たら似たような刺激に対して免疫が付き、また再度「怒られる」ということが起きても以前とは全く違った思考をすることが出来る様になっていくのです。
「刹那的な思考を言語化する」ことで、それを時間をかけて一つ一つ受け入れることであなたの免疫がどんどん強くなっていき様々な感情から解放される瞬間が訪れます。
そうなれば、あなたの「思考の間」で行われる思考の縛りを解くことに繋がるのです。
過去も未来も無い「今」を感じる
3つの縛りを解くことが一時的に出来ても、再度また縛られてしまうこともあります。
そうならないためにも、「今」を感じる様にしましょう。
「今」をしっかりと感じると、今この瞬間には何も無いことに気が付きます。
「恐れ」「憎しみ」「怒り」「悲しみ」といったマイナスの感情すらも「今」には存在していません。
あるのは「心穏やかな自分」のみです。
そこまで「今」を感じる様に出来れば、思考に縛られることなく「ありのままの全て」を受け入れることが出来ます。
この「今」を感じる方法は瞑想で訓練することで鍛えられます。
おすすめの瞑想方法を下記に記したので良かったらご参照下さい。
「今」を感じるという意識を普段の生活に取り入れるには、常に意識する必要があります。
意識しないと直ぐに忘れてしまうのです。
私も最近になって不意に「恥ずかしい感情」が芽生えてしまった経験をしました。
その時に、「今」を感じることを忘れてしまっていたのです。
「今」を感じるということを忘れずに意識していたら「恥ずかしい感情」が直ぐに収まったか、そもそもその感情自体感じなかったと思います。
これは常に意識していないと結構忘れがちになるので、常に意識することを心掛けましょう。
本当の自由を常に追求する
上記のことを偉そうに述べさせて頂いた私自身も、「本当の自由」を獲得したわけではありません。
しかし、上記のことを追求することで「本当の自由」にどんどん近づくことが可能だと確信しています。
普段の生活において自分の内面を意識して行動することはとても大切なことだと考えています。
誰もやらない様なことだからこそそれを実践する価値があると思います。
あなたが上記のことを常に意識することであなたの周りにも変化が訪れます。
あなたの周りが変化するとあなたの世界が変わるのです。
自分から「本当の自由」を発信する気持ちで是非実践してみて下さい。
それでは最後にビクター・フランクルの名言をお伝えします。
どのような状況になろうとも人間にはひとつだけ自由が残されている。それはどう行動するかだ。
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