「おい、雪音!見ろよこの芋!でっかいぞ!」
「ほんとだ!!」
五年前、あの儀式の年、土は凍え、芋ひとつ掘れなかった——
「この土も、だいぶ肥えてきたな」
「いやー、本当に、お日様とこの土地には、感謝してもしきれないよ!」
二人は、自然がもたらす大いなる働きを、心から喜んでいた。
すると——遠くから、人の気配が近づいてきた。
「陽じゃねえか?」
「やあ、兄さん」
「……ったく、お前に兄さん呼ばれる筋合いはねえんだけどな」
「いいじゃねぇか、
俺の勝手だ」
「ほんと、お前は昔から変わらねぇな。
お母さんは順調かい?」
「今はだいぶ落ち着いてきているよ…
明日が親父の命日だから、少し気にはなるけど」
「あれから16年か……早いもんだな、
どうだい?親父さんに教わった狩りは順調なのか?」
「そのことだが、
今、ちょっと手が足りてないんだ、
そう言う訳で、雪音ちゃんに手伝ってほしくて」
そう言うと、陽は雪音のところへ近づいて行く。
「やあ、元気かい」
「今年の畑は順調だよ」
「それは何よりだ」
「毎年こうだと嬉しいけど」
「不作の年は、大変だったな」
「あの時は、陽たちが頑張ってくれたお蔭で、村の食糧庫も、空っぽにならずに済んだよ」
「俺たちも、狩人としての腕を試された氣がしたよ」
「陽は、一番張り切ってたもんね」
「そうだっけか?
でも、俺は何があろうが、狩人として一生懸命やっていくつもりだ。
今日はそのことで、雪音ちゃんに、ひとつお願いがあるんだが」
「わたし、狩りはしたことないよ」
「察しがいいな、
でも、今日は罠を仕掛けるだけだ」
「わからないことは、教えてあげるから大丈夫だ」
「なら、行ってみる」
「助かるよ」
そういう訳もあって、陽と雪音は、森へと歩き出した——
雪音にとって、森へ来たのは、これがはじめてだった。
見たことのない世界に、胸の高鳴りを感じていた。
「ねえ、あれは何?」
雪音は、木の上に建てられた小屋を見つけた。
「あれは、俺の寝床さ。
この仕事を継いでから、ときどき森で暮らしてるんだ。」
「ここで?」
「ずっと村に居ては、狩人としての勘が鈍ってしまうからな、
ただ、母親の体調もあるから、そんなに長くは居られないが…」
「お母さんは、そんなに悪いの?」
「心も参っちまっててさ。
だから、なかなか良くならねえんだ。」
雪音の瞳は、半ば無意識に、陽の胸に秘めた、心の痛みを捉えた。
「……ま、この話はそのへんにして。
あれ?ナイフをひとつ村に忘れちまったみたいだ、
ちゃんと二本とも、揃えたはずだったが」
いつも完璧な準備を怠らない陽にとって、
ナイフをひとつ忘れた、という事自体が、
大きな誤算に感じてならなかった。
「ちくしょう、ないのかよ、
めんどくせぇな」
陽は、イライラを抑えながら、木を削り、木製のナイフを作り始めた。
黙々と作業をしている間に、純粋な職人の心に戻っていった。
繊細で手慣れたその手さばきを見ると、雪音はただ黙っていた。
「よし、完成。
「じゃあ行こうか」
狩人の足取りは慣れていた。
獣道を嗅ぎ分けながら、その足取りを止めては、人の臭いが付かないように、慎重に罠を仕掛けた。
雪音も、言われた通りに動いた。
数をこなすに連れて、二人の息が合いだした。
「そろそろ慣れて来たな」
「次で最後の罠だ、やってみるかい。
「うん」
雪音は見よう見まねで罠をしかけた。
「結構たいへんだね…」
「まあ、最初はこんなもんだ」
そう言いながら、陽はしかけた罠の手直しをした。
「これで終わり、
雪音ちゃんがいてくれて助かった」
「もう少し、この森を見ていたいな」
普段は村で畑の手伝いをしている雪音は、
初めて見た森の世界を後にすることに、どこか名残惜しさを感じていた。
「俺は別に構わねぇけど、
この近くに、過去の記憶が眠る、面白い場所があるんだが、
そこに行こう」
そう言って二人は、更に森の奥へ向かった。
森の奥へ進むに連れ、かつて栄えていた文明の名残が静かに眠っていた。
そして、ある洞窟にたどり着いた。
中に入ると、ひんやりとした空気が、雪音の肌に触れた。
火を灯し、壁を照らすと、浮かび上がったのは、古の壁画の数々。
「昔、この辺りに、時の流れに乗ってやってきた者がいたと言われている」
「時の、流れに…」
陽は、ある一枚の壁画へ、そっと明かりを向けた。
その人を見たとき、なぜだか、胸の奥が揺れた。
名前も、声も知らない。
なのに、どうしてだろう——
「え!?何?」
「大丈夫。」
「え?誰?」
「あなたはわたし」
「あなたも、いつの日か」
「良かった、気がついたか…」
「不思議な夢を見た」
二人はしばらく、ここで休むことにした。
「びっくりしたぜ…急に倒れるんだからな」
「初めて森を歩いたもんだから、きっと疲れているんだよ」
「コトダマってヤツを知っているかい?」
「何?
「言葉の力ってやつだ」
「言葉の?力?」
「心の中の響きを、
その響きのまま伝えると、
言葉が、活き始めるんだ」
「俺は、ある人に言われた言葉で、救われたことがあってさ」
陽はそう言って焚火に薪をくべた。
「あのとき言われた言葉は秘密なんだ、
必要もない時に、口に出してしまうと、
コトダマが、逃げてしまうからな」
「不思議な目だな」
「寂しいの??」
「寂しいって?俺がか?」
「そう思っただけ…」
「どうだろ、
でも、人手が足りなくて困ってるのは本当だ、
俺の親父の時代は、見習いがいっぱい居たし、
何より、狩人同士の交流が深かった」
「お父さんは、どんな人だったの?」
「親父は、森を愛してた。
狩人として、親父のところに見習いに来る奴が絶えなかった」
「今はずっと一人なの?」
「親父が亡くなってからは、一人でやっている。
母があんな状況だ、
見習いとして、手伝ってくれるヤツが居たら、助かるんだが、
人との付き合いが、なかなか上手く行かなくてな」
「今日、陽の狩りを見ることができて、良かった」
「そうか、でも、今日は罠をしかけただけだ」
「いい見習いが、見つかるといいね」
「俺にもし、後継ぎができたら、
俺の秘密の言葉を、教えてやるって決めてんだ」
「気になる、その秘密の言葉、」
「よし。じゃあ、特別に雪音ちゃんにだけ教えてあげるよ」
「でも、大丈夫かな?
コトダマが逃げちゃうかも…」
「大丈夫だ、
これも必要な時だったと、そう思えればな」
そう言って雪音の耳元で、その秘密の言葉を伝えた。
「陽は本当に、森が好きなんだね」
「今日は、森を案内してくれて、ありがとう」
「また、手伝いをしたり、一緒に、森に行ってもいいかな?」
「森は逃げねえよ。
俺はここにいる」
日月物語 第一章 2話|狩人の男 – 洞窟の記憶

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