日月物語 第一章 2話|狩人の男 – 洞窟の記憶

【日月物語】

「おい、雪音!見ろよこの芋!でっかいぞ!」
「ほんとだ!!」
五年前、あの儀式の年、土は凍え、芋ひとつ掘れなかった——
「この土も、だいぶ肥えてきたな」
「いやー、本当に、お日様とこの土地には、感謝してもしきれないよ!」
二人は、自然がもたらす大いなる働きを、心から喜んでいた。
すると——遠くから、人の気配が近づいてきた。
「陽じゃねえか?」
「やあ、兄さん」
「……ったく、お前に兄さん呼ばれる筋合いはねえんだけどな」
「いいじゃねぇか、
俺の勝手だ」
「ほんと、お前は昔から変わらねぇな。
お母さんは順調かい?」
「今はだいぶ落ち着いてきているよ…
明日が親父の命日だから、少し気にはなるけど」
「あれから16年か……早いもんだな、
どうだい?親父さんに教わった狩りは順調なのか?」
「そのことだが、
今、ちょっと手が足りてないんだ、
そう言う訳で、雪音ちゃんに手伝ってほしくて」
そう言うと、陽は雪音のところへ近づいて行く。
「やあ、元気かい」
「今年の畑は順調だよ」
「それは何よりだ」
「毎年こうだと嬉しいけど」
「不作の年は、大変だったな」
「あの時は、陽たちが頑張ってくれたお蔭で、村の食糧庫も、空っぽにならずに済んだよ」
「俺たちも、狩人としての腕を試された氣がしたよ」
「陽は、一番張り切ってたもんね」
「そうだっけか?
でも、俺は何があろうが、狩人として一生懸命やっていくつもりだ。
今日はそのことで、雪音ちゃんに、ひとつお願いがあるんだが」
「わたし、狩りはしたことないよ」 
「察しがいいな、
でも、今日は罠を仕掛けるだけだ」
「わからないことは、教えてあげるから大丈夫だ」
「なら、行ってみる」
「助かるよ」
そういう訳もあって、陽と雪音は、森へと歩き出した——
雪音にとって、森へ来たのは、これがはじめてだった。 
見たことのない世界に、胸の高鳴りを感じていた。
「ねえ、あれは何?」
雪音は、木の上に建てられた小屋を見つけた。
「あれは、俺の寝床さ。
この仕事を継いでから、ときどき森で暮らしてるんだ。」
「ここで?」
「ずっと村に居ては、狩人としての勘が鈍ってしまうからな、
ただ、母親の体調もあるから、そんなに長くは居られないが…」
「お母さんは、そんなに悪いの?」
「心も参っちまっててさ。
だから、なかなか良くならねえんだ。」
雪音の瞳は、半ば無意識に、陽の胸に秘めた、心の痛みを捉えた。
「……ま、この話はそのへんにして。
あれ?ナイフをひとつ村に忘れちまったみたいだ、
ちゃんと二本とも、揃えたはずだったが」
いつも完璧な準備を怠らない陽にとって、
ナイフをひとつ忘れた、という事自体が、
大きな誤算に感じてならなかった。
「ちくしょう、ないのかよ、
めんどくせぇな」
陽は、イライラを抑えながら、木を削り、木製のナイフを作り始めた。
黙々と作業をしている間に、純粋な職人の心に戻っていった。
繊細で手慣れたその手さばきを見ると、雪音はただ黙っていた。
「よし、完成。
「じゃあ行こうか」
狩人の足取りは慣れていた。
獣道を嗅ぎ分けながら、その足取りを止めては、人の臭いが付かないように、慎重に罠を仕掛けた。
雪音も、言われた通りに動いた。
数をこなすに連れて、二人の息が合いだした。
「そろそろ慣れて来たな」
「次で最後の罠だ、やってみるかい。
「うん」
雪音は見よう見まねで罠をしかけた。
「結構たいへんだね…」
「まあ、最初はこんなもんだ」
そう言いながら、陽はしかけた罠の手直しをした。
「これで終わり、
雪音ちゃんがいてくれて助かった」
「もう少し、この森を見ていたいな」
普段は村で畑の手伝いをしている雪音は、
初めて見た森の世界を後にすることに、どこか名残惜しさを感じていた。
「俺は別に構わねぇけど、
この近くに、過去の記憶が眠る、面白い場所があるんだが、
そこに行こう」
そう言って二人は、更に森の奥へ向かった。
森の奥へ進むに連れ、かつて栄えていた文明の名残が静かに眠っていた。
そして、ある洞窟にたどり着いた。
中に入ると、ひんやりとした空気が、雪音の肌に触れた。
火を灯し、壁を照らすと、浮かび上がったのは、古の壁画の数々。
「昔、この辺りに、時の流れに乗ってやってきた者がいたと言われている」
「時の、流れに…」
陽は、ある一枚の壁画へ、そっと明かりを向けた。
その人を見たとき、なぜだか、胸の奥が揺れた。
名前も、声も知らない。
なのに、どうしてだろう——
「え!?何?」
「大丈夫。」
「え?誰?」
「あなたはわたし」
「あなたも、いつの日か」
「良かった、気がついたか…」
「不思議な夢を見た」
二人はしばらく、ここで休むことにした。
「びっくりしたぜ…急に倒れるんだからな」
「初めて森を歩いたもんだから、きっと疲れているんだよ」
「コトダマってヤツを知っているかい?」
「何?
「言葉の力ってやつだ」
「言葉の?力?」
「心の中の響きを、
その響きのまま伝えると、
言葉が、活き始めるんだ」
「俺は、ある人に言われた言葉で、救われたことがあってさ」
陽はそう言って焚火に薪をくべた。
「あのとき言われた言葉は秘密なんだ、
必要もない時に、口に出してしまうと、
コトダマが、逃げてしまうからな」
「不思議な目だな」
「寂しいの??」
「寂しいって?俺がか?」
「そう思っただけ…」
「どうだろ、
でも、人手が足りなくて困ってるのは本当だ、
俺の親父の時代は、見習いがいっぱい居たし、
何より、狩人同士の交流が深かった」
「お父さんは、どんな人だったの?」
「親父は、森を愛してた。
狩人として、親父のところに見習いに来る奴が絶えなかった」
「今はずっと一人なの?」
「親父が亡くなってからは、一人でやっている。
母があんな状況だ、
見習いとして、手伝ってくれるヤツが居たら、助かるんだが、
人との付き合いが、なかなか上手く行かなくてな」
「今日、陽の狩りを見ることができて、良かった」
「そうか、でも、今日は罠をしかけただけだ」 
「いい見習いが、見つかるといいね」
「俺にもし、後継ぎができたら、
俺の秘密の言葉を、教えてやるって決めてんだ」
「気になる、その秘密の言葉、」
「よし。じゃあ、特別に雪音ちゃんにだけ教えてあげるよ」
「でも、大丈夫かな?
コトダマが逃げちゃうかも…」
「大丈夫だ、
これも必要な時だったと、そう思えればな」
そう言って雪音の耳元で、その秘密の言葉を伝えた。
「陽は本当に、森が好きなんだね」
「今日は、森を案内してくれて、ありがとう」
「また、手伝いをしたり、一緒に、森に行ってもいいかな?」
「森は逃げねえよ。
俺はここにいる」

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