感情を判断基準にすると、
良い感情が留まっている時や、
嫌な感情が留まっている時など、
判断基準がブレる。
波があるので正直面倒くさい。
思考を判断基準にすると、
じっくり自分を省みる時にはいいが、
決断が遅れるので、
目の前のことに対処して行くには向かない。
感覚を判断基準にすると、
今に意識が向く。
なぜなら感覚とは、
鮮度が命であり、
今この瞬間に訪れた感覚は瞬く間に消えて行くから。
感覚に感情や思考が伴うと良し悪しの意味付けがされるが、
感覚それ自体には良し悪しはなく、
確かに感じたという事実だけが存在する。
意味付けされる前の純粋な感覚を判断基準にして行くことは、
神の判断を越える。
ここで言う神とは主観の最深部に宿る最後の拠り所であり、
それを越えるということは、
運命の再プロブラムを意味する。
理に従って神を越えて行こう。
全ては感覚による判断基準から始まる。
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