こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「弱き心の目覚め」についてです。
まず、何を持って弱き心とするかの定義をしたいと思います。
一言で言うと弱き心とは「自分の中にある恐れを感じる心」です。
誰でも恐れを感じることが出来ます。
つまり、誰でも弱き心を持って生きています。
弱き心、つまり「恐れを感じる心」を深いレベルで感覚的に理解することで一種の「目覚め」を呼び起こすことが可能です。
ここで言う「目覚め」とは、一氣に心の理解が広まる感覚です。
「何に恐れを感じるか?」とか「なぜ恐れを感じるか?」と言った言葉による認識ではまだまだ不十分です。
恐れの源は言葉では理解が出来ないのです。
強いて言えば、「死」を暗示させることによって恐れがあなたを守ってくれているのです。
しかし、大古の大昔は恐れが本当に上手く機能し命を助ける役割を担っていたのに対して、現在は命の危険にさらされる様な出来事というのは滅多にありません。
特にこの日本という国では「物理的な死の危険」よりも「精神的な悩み」によって恐れを感じてしまいがちです。
先ほども言いましたが恐れは言葉で認識することがほぼ不可能です。
根本的なところは感覚的な理解が必要なのです。
ここで言いたいのは、恐れを理解する必要はありません。
あなたが本当に理解する必要があるのは「恐れを感じる心」の方です。
恐れは人間のDNAに深く刻まれた仕組みなので理解しようがしまいがあなたに一生付きまとうモノです。
しかし、「恐れを感じる心」を理解することで恐れがやって来ても恐れを感じなくすることが可能だと私は考えています。
それが「弱き心の目覚め」なのです。
それをするには深い内観力が求められます。
外部の情報をシャットアウトして、自分の内面だけに集中するのです。
そして、恐れを感じる出来事をイメージします。
そうすることで恐れを感じる心を捉えることが出来ます。
その心を捉えたら、深いところで自己対話をするのです。
そうすると、「弱弱しい感覚」が自分に広がります。
それと同時に「そんな自分は嫌だ」という感覚も芽生えます。
その「嫌だ」という感覚を深いレベルで自覚することが「弱き心の目覚め」なのです。
「嫌だ」という感覚を深いレベルで自覚することによって「これが自分だ」と堂々と胸を張る様な氣分になります。
そしてその弱き心は強き心に転じるのです。
弱き心と強き心は表裏一体なのです。
その違いはその心を「嫌い」なのか「好き」なのかの違いだけです。
もし、あなたが「恐れを感じる心」を好きになると強き心として自分自身を表現したくなるはずです。
ここで重要なのは、恐れその物をどうにかしようとしていないところです。
前述しましたが、恐れの源は無くなりません。
恐れは高等な生物の宿命の様な、かつ、神聖な感情です。
しかし、「精神的な悩み」から来る恐れに対しては「弱き心の目覚め」によって対処することが可能なのです。
自分の弱き心を深いレベルで自覚するとそれが強き心だったのだと腑に落ちる瞬間がやって来ます。
私は昔から「どことなく頼りない人間だ」と自分を戒めていました。
しかし、それは間違いでした。
「どことなく頼りない」のではなく、「頼りないと思い込んでいる」というのが正しい認識です。
過去に誰かに言われた言葉などが脳裏に浮かんで、一種の自己暗示にかかっていただけなのです。
外部的な事象から来る思い込みは必ず外すことが可能です。
しかし、部分的にひとつずつ思い込みを外すのは面倒だし、とても大変です。
だからこそ「弱き心の目覚め」が必要なのです。
「真の強き心」とは「弱い自分を個性として自覚し、その強みに氣付いている状態」なのです。
最後に一つだけ質問します。
「あなたは本当に弱き人間なのでしょうか?」
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