こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「統合失調症とワンネスと悟り」についてです。
これを書いている2021年6月28日昼11時頃の現在私は再びワンネス体験中です。
きっかけは「ニューアース」という書籍を読んだことがきっかけでした。
そんなことよりも、ワンネスと統合失調症には深い関係性があるということに氣付いたのでそのことについてお伝えしたいと思います。
ワンネスについての概要は下記の記事をご参照ください。
早速本題に入りたいと思います。
統合失調症とワンネスと悟り
統合失調症の症状に周りに監視されていると言ったことや、あるとても小さなどうでも良いことに深い意味を感じてしまうということが挙げられます。
ワンネスの体験もそれとどことなく似ている感じがします。
決定的に違うのは統合失調症の症状は「恐れ」が発端でワンネスは「愛」が発端だという事です。
これらの正体は「実は見えない何かで全てが繋がっている」という真実が存在することを意味しています。
「恐れ」で繋がるか「愛」で繋がるかの違いだけであって、統合失調症の症状とワンネスはこの世界の本質に迫る究極の感性とも言うべき体験だと感じます。
その仕組みを説明すると、この世界は一つで繋がっているという真実があります。
その繋がり方は表裏一体で「恐れ」でも繋がっているし「愛」でも繋がっています。
裏面で繋がってしまうと統合失調症の症状の様なモノが現れます。
表面で繋がるとワンネスを体験できるという仕組みです。
どちらも「この世界は一つで繋がっている」ということには変わりませんが、心としての感じ方は大きく違います。
しかし、どちらもこの世界の真理に辿り着くために起こる出来事の様に感じます。
結局のところ全てが一つであって全てがかけがえのないものだという事を感じるか、全てが敵の様に感じるかはあなたの心次第だという事です。
禅の教えで「好雪片々として、別所に落ちず」という言葉があります。
意味は「舞い落ちる雪のひとひらひとひらは、落ちるべきところに落ちている」ということです。
この言葉は、この世で起こる全ての現象は調和で満たされていて善も悪も存在しないということを悟った人の言葉であると見受けられます。
本当の悟りとは「愛」でもなく「恐れ」でもないその本質にある「この世は一つ」という無感情の氣付きなのだと私は考えています。
つまり、「愛」や「恐れ」から来るワンネスや統合失調症の症状は悟りの手前の有感情の氣付きに当たると言うことです。
本当の悟りとは感情を伴わない静寂の氣付きだと私は考えています。
そして感情が伴わない分それが一時的なモノではなく延々と続くのが悟りの域だと思います。
それを悟った有名な人物だとイエスキリストやブッダ、老子などがその域に達していました。
それ以外にも少なからずその域に達した人が存在しています。
ここで話を少し脱線します。
とても深いエピソードなので全ての人に伝わるかは不明ですがこれを理解出来る人は悟りにより近い人だと思います。
ほう、そうか?
日本のある町に白隠(はくいん)という禅の老師が居ました。
白隠は人々に尊敬され、大勢の町人が彼の教えを聞きに集まっていました。
ある日、寺の隣に住む十代の娘が妊娠しました。
カンカンになった娘の両親は「子供の父親は誰だ!」と娘に問い詰めると、「白隠禅師」だと答えました。
娘の両親は「娘は白状したぞ、お前が父親だそうだな!」と白隠禅師をなじりました。
それを聞いて白隠は「ほう、そうか?」と答えただけでした。
それが町中で噂になり、それから誰も白隠の元を訪れる者は居なくなりました。
娘の両親は白隠に「父親としての責任を果たせ!」と赤ん坊を面倒を見る様に言いつけました。
白隠は何も言わず赤ん坊を育てました。
一年が経ち、罪悪感に耐えきれなくなった娘が両親に「実は、赤ん坊の父親は近所で働く若者だ」と白状しました。
両親は慌てて白隠の元へ駆けつけ「本当にすまないことをしました。赤ん坊を引き取らせてもらいます。娘が、父親ははあなたではないと白状しましたんで」と言うと白隠はこう言いました。
「ほう、そうか?」
この話を聞いてあなたはどう感じましたか?
私は白隠禅師がイエスやブッダや老子と同じ領域まで達している人物の様に見受けられました。
人は自分の存在が脅かされると感じるとどうしても反発的な感情が湧き上がってしまいます。
誤解を解くために必死になって説明するというのが普通の人の反応だと思います。
しかし、白隠禅師は「ほう、そうか?」と一言述べただけでした。
両親が間違いに氣付いて謝りに来た時も「ほう、そうか?」と言っただけでした。
自分がもがいても現実は対して変わらないと白隠禅師は深いレベルで知っているのです。
「赤ん坊の父親は自分じゃない」という現実。
それを相手がどう誤解しようが自分は揺らぐことはない。
いずれその真実が明るみになるのを待てば良いという深い懐。
自分なら必死で誤解を解きにかかるかもしれません。
でも結局のところ、誤解のまま一生を迎えても、誤解が解けたとしても、真実は変わらないんです。
誤解のまま一生を迎えるとしたらそれは天が決めた事なのかもしれません。
雪のひとひらひとひらが落ちる場所も定められていると考える禅僧なら、本当にそう考えていてもおかしくないです。
ここで大切なのは誤解を生んで周りの人の評価が下がっても真実は変わらないと思える深い心です。
真実は変わらないと頭では理解できますが、それを深いレベルに落とし込まないとそういう行動には移せないと思います。
つまり、大切なのは「世界は一つ」という真理に触れることなのです。
私はワンネスも統合失調症の症状も体験していますが、悟りという真理には至っていません。
以前はワンネスこそが悟りと思っていましたが、今はワンネスは悟りの一歩手前の状態だと感じます。
ワンネスを二回体験している私が感じるのは、「世界は一つ」であるという感覚を無感情で氣付くことが悟りであると言うことです。
話はそれましたが、ここで本題に戻ります。
統合失調症とワンネスと悟りの深い関係性
前述した通り、中心にあるのが「悟り」の領域でその周りに「統合失調症の症状」と「ワンネス」がある状態がそれらの関係性を現わしています。
そして「悟り」の最も中心に存在する真理として「この世は一つ」というモノが存在するのだと私は考えています。
このことを考えるともし統合失調症の症状で「恐れ」から真理へ近づいてしまった場合にも、それよりももっと深いところ「真理(この世は一つ」に入ることで「悟り」の領域に到達することが出来るのではないかと考えられます。
もしあなたが統合失調症を患っていて、世の中全体を敵視することがあったらこのことを思い出してみて下さい。
もしあなたがワンネスを体験したとしたら、それだけで満足するのではなくそこから更に真理の奥底へ進んでみて下さい。
もしかしたら「悟り」の領域まで行けるかもしれません。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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