自己主張よりも大切なモノがある。
それが調和だ。
慎ましい:「遠慮深くて動作・態度が控え目」
ここでわかりやすく極論で考えてみる。
皆が自己主張が激しいとどうなるだろうか。
争いが起きそう。
逆に、皆が慎ましく居るとどうなるだろうか。
平和になりそう。
そう考えたら自己主張を止めたくなる。
でも、今の仕事は完全に欧米式なので自己主張しないと上に行けない。
戦後の日本は良くも悪くも変わってしまった。
昔ながらの調和の精神は骨抜きになった。
正直、「慎ましい」と聞くと「つまらない」と感じる。
完全にポップカルチャーの影響だ。
ポップでハッピーなのが楽しいと感じる。
これは完全に欧米洗脳だ。
でも、本当の深い喜びを感じたいなら慎ましく生きた方が良い。
慎ましく生きるだけで仕事上の面でも成功した人を知っている。
それが稲盛和夫氏だ。
彼の仕事は欧米式の「効率化」を目指すモノとは違っていた。
誠実、謙虚、努力、純粋。
それらが彼の志に宿っていた。
人生においても仕事においても真の意味での成功を収める人というのは結局のところ、昔から当たり前に言われてきたことを実行する力がある様に見受けられる。
正直、それだけで本当に成功出来るか疑問に思う。
何故なら私はそれを実行することで成功した経験が無いからだ。
でも心の奥底でそれが正しい道だと感じて居る。
きっとその考え方って普遍的で今も昔も変わらないモノなのだろう。
氣を許せば欧米式の「効率化」の考え方がやってくる。
そもそも日本語自体、仕事をする上で非効率な言語だと言われている。
論理的なことを上手く表現するのに長けたのが欧米言語だとしたら、
感情や感性を奥深く表現することに長けているのが日本語だ。
まず言葉が基本的に違う。
では、日本語を使う我々が最も自然な生き方とは何だろう。
それが慎ましやかな生活なのだ。
慎ましく生きると漏れなく、誠実さや純粋さが付いてくる。
慎ましく生きる。
シンプルだがなんと難しいことか。
しかし、この記事を検索して見つけたあなたならそれが出来ると信じています。
共に調和した暮らしを送りましょう。
それが日本人である私達の使命なのだから・・・
もしあなたが精神的に参っているならこのブログに何かのヒントが隠されているかもしれません。
是非とも他の記事を読んでみて下さい。
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