こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「思考から行動へ」ということです。
頭でアレコレ考えることも大切ですが、それだけで終わってしまっては半分損しているよということをお伝えします。
人間は考えることが出来る生き物です。
考えて考えて考え抜くだけでは現実は変わりません。
考えたことを実際に行動に移してこそ考えた意味が生まれるのです。
考えるだけではあなたの心は半分しか満たされません。
精神世界を長らく旅して来た私が言うので間違いないと思います。
実際に行動に移すことが出来たら、あなたの現実がどんどん変わって行きます。
というか実際の行動無しで現実を変えようとするのはとても非効率です。
自分の内面を見つめ直し、ジッと精神世界を旅したことで考え方も変わり見える世界もいくらか変えることは出来ます。
精神を根本から変える作業というのは私にとって必要不可欠でした。
しかし、物事には仕上げというモノが存在します。
精神世界を旅することは仕上げではなく、あくまでも準備として捉えて欲しいのです。
仕上げは現実世界を真剣に生きることです。
「精神から現実へ」がこのブログのモットーです。
考え方や受け取り方でどんな出来事もポジティブに捉えることは理論上可能です。
でも、それはとても非効率だったなと思う今日この頃です。
現実で起こる出来事は、実際にあなたの心にも影響を及ぼします。
現実的に考えて、「どんな出来事にも動じない心」なんて求めても手に入らないかもしれません。
ずっと精神や心について深く考え、瞑想を通して様々な氣づきを得て来た私がたどり着いた答えは、現実が心に及ぼす影響力というのは非常に強烈だということです。
もちろん瞑想をして一時的に氣分良くなることも可能ですが、それはあくまでも環境が安定しているからこそ出来ることなのだと私は考えています。
せわしく日々の生活を送る人にとっては、一度立ち止まって自分の精神を深く見つめ直すことも大切ですが、それをした後に再度現実世界を変えていく必要に迫られます。
現実を変えるためには実際に行動しなければいけません。
目に見えない考え方や信念を大切にしながら、同じくらい行動という現実を変える力を大切にすべきだと思えて来ました。
そして、実際に人と関わって行く中で自分の心は大きく育まれて行くのだと感じます。
スピリチュアルに興味を持っている人はそこの力が弱い様に感じます。
何故ならスピリチュアルな情報は、受け身な姿勢を肯定する受け口があるからです。
それも段階によってはとても重要なことです。
「弱った心」を元に戻す力としてはスピリチュアルな情報はむしろ意義深い物だと今でもそう考えています。
では、元に戻った心が次に向かう先はどこにあるでしょうか?
それは「強い心」を求めることだと思います。
「強い心」とは何か?
それは、ちょっとのことでは動じない心と現実を上向きに変えて行く心です。
「どんな出来事にも動じない心」というのは無理がある話ですが、「ちょっとのことでは動じない心」というのは備え付け可能です。
実際に今の私はそれを実感しています。
「精神から現実へ」の現実に目を向けている段階が今の私です。
まだ、現実と向き合う覚悟が定まらない方はこの記事を読んでもあまり心には響かないかもしれません。
しかし、私と同じ様に精神世界やスピリチュアルに段々と興味が無くなって来た方なら今回の記事は読む意味があると思います。
そんなあなたに向けてこの記事の内容を発信しています。
受け身な人の良くある考え方として「~すべき、~しなければならない」は精神衛生上良くないという考え方があります。
この考え方は全ての人に当てはまる普遍的な考え方だとは思いません。
心が弱って療養中の人に限ってそれがプラスに働くのであって、そうでない人にとってこの考え方は「怠惰思考」へ導く危険性をはらんでいます。
「怠惰」は絶対悪という訳ではありませんが、人生において「嫌でもしなければならないこと」というのは確実に存在します。
これからもそれは訪れるでしょう。
「やりたいことだけをやって生きて行く」という考え方の本質は「やりたいことをやるためにやりたくないこともやって行く」ということだと思います。
これは誰でも知っている当たり前の真実です。
「心が求めないからやらない」という選択を続けて行くといずれそのツケを支払う時が必ずやって来ます。
心の赴くままに生活したいのなら、その前にやるべきことは山ほどあるということです。
仕事上「~すべき、~しなければならない」という事が非常に多くのしかかって来ることもあるでしょう。
自分の脳の容量がパンクして「~すべき思考」に嫌悪感を感じている人も居ることでしょう。
そう言った人におすすめしたいのは「瞑想」です。
「~すべき思考」が非常に多くの脳内シェアを占めている場合、「心がうるさく」なります。
なので実際の仕事をこなす前に「心を静める」ことが一番効率の良い仕事の手順となります。
「瞑想」をする時は、一旦全ての責任を放棄する氣持ちで行いましょう。
そして何も考えない時間を取るのです。
そうすると「心が静まり」ます。
「心が静まる」と不思議とあなたの意識のポイントが「責任の重さ」から抜け出し、「物事の手順」に意識が行きます。
「何から手を付けていいかわからない」というパニック状態から「何から手を付けようか」というクリアな思考の状態になる訳です。
私は以前からこのブログで「チャクラ瞑想」をおすすめして来たのですが、今回の様なケースでは「思考を止める瞑想」がより効果的だと感じます。
最新の科学的な実験によると、人は長時間考え抜いて出した答えよりも直感的に出した答えの方が正解率が上がったという結果もあります。
思考を止めるということは直感力に磨きをかけるということに繋がります。
いくら考えても答えが見つからなかったのに、ふとした瞬間に答えが降りて来たということは誰でも一度や二度は経験したことがあるのではないでしょうか。
真剣に悩み考え抜いた後に、一度それを手放して思考を止めてみるとそこに光が差し込むかもしれません。
そして、「~すべき思考」を実際の行動に結び付けることが肝心です。
以前の私は「~すべき思考」が重く感じましたが、今の私は生活のほとんどが「~すべき思考」で動いています。
まだまだ改善の余地はありますが、これは私にとって大きな一歩だったと実感しています。
「すべきこと」を淡々とこなしていく。
今考えると精神世界の旅や瞑想による氣づきは全てこの「~すべき思考」を重く感じない心を創るための準備だったのかなと思います。
「~すべき思考」を重く感じない心こそ私に欠けていたピースだったのかもしれません。
そのピースが全て揃った今、後は日々淡々と「すべきこと」をこなしていくだけでいいのだと信じています。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、その言葉の中で最も重要な部分は「人事を尽くすこと」なのです。
あれもこれもしなければならないことがたくさん脳裏に浮かびます。
まるで、私が今まで払ったツケを払い戻させるかのごとく「すべきこと」がこの時を待っていたように感じます。
著書【7つの習慣】では「意志の力」で「嫌な氣持ち」を服従させることが主体性を持つことだと述べています。
その言葉の意味が今ならわかります。
氣分良く行動するのは誰だって出来ます。
氣分が乗らない時こそ「意志の力」で動ける人と動けない人との間にどんどん差が広がって行くのです。
「意志の力」は日々の生活の中で「~すべき思考」をこなしていくごとにどんどん鍛えられ、挙句の果てには調子が良い時と悪い時の生産性の違いがほとんどない状態になっていくのだと思います。
それこそが「強い心」の正体ではないでしょうか。
元々氣分屋だった私が少しずつ主体的になって来ているのは、行動力を強く求めた結果だと感じます。
何事も「強く求めること」から始まります。
求めた結果になるまでに時間差はありますが、強く求めることで手に入らないモノは何一つ無いのだと今は強く確信しています。
「思考から行動へ」繋がるほどに心から強く求める。
行動へ繋がらないならそれは心から求めていない証拠。
心の療養が終わったら、今度は日々の生活に少しだけ無理をすることを取り入れてみましょう。
最後に有名な詩人であるミツルさんの名言をお伝えします。
「人生は掛け算だ。君が0なら意味が無い」
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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