今までは自分の荷物を人生に預けていた。
人生は何も言わず荷物を持ってくれる。
何も言わないもんだからついつい荷物を人生に預けてしまう。
そうすると人生の波に揺られることになる。
自分でもがいても進むかどうかは波次第。
一生波に揺られながら死ぬ人も居るだろう。
自分もそうなるところだった。
しかし、あることに氣づいた。
「自分の荷物は自分で持つ」ということに。
どれが自分の荷物かは自分の本心が知っている。
過去の過ち。
今の自分の直面し難い現実。
自分の幸せ。
大切な人の幸せ。
これを一つ一つ丁寧にリュックに詰める。
そして背中に背負う。
そうしたら今まで波に揺られていただけの人生が道に変わる。
道を歩くのは一歩ずつ。
右足を出して左足を出す。
その繰り返しでしかない。
とてもシンプルだ。
波に揺られている時は大波小波が人生をうるさくしていた。
しかし、道を歩くと人生が静かになる。
周りの音は聞こえない。
その変わりに自分の足音がしっかり聞こえる。
将来は道を走ることもあるだろう。
しかし、今は一歩一歩歩く足音を聞いていたい。
何せ生まれて初めての自分の足音だから。
今の自分にとって情熱や希望は有ればラッキーとしか思ってない。
それが無くても歩ける氣がする。
歩くという意志。
それさえあれば何の問題も無い。
自己肯定や自己否定などは要らない。
だけど初めて道を歩いたもんで心がソワソワしている。
これは荷物を背負った人に長年付きまとうと感じる。
心のソワソワ。
今は嫌だけど時期に慣れて来るだろう。
そしてそのソワソワが歩く意志を生んでいるということに氣がつくだろう。
荷物を背負った人に与えられるのはソワソワだけじゃない。
本当の自由が与えられる。
自由とは自らを由(よし)とすること。
自分を拠り所にすること。
それが自由の本当の正体だ。
波に揺られていた時は自由を誤解していた。
自由は夢と希望に溢れたもんだと思っていた。
しかし、夢と希望すら無くても歩けることが本当の自由だと感じる。
激しい感情を元に動くのではなく、静かな意志で動く。
そうすると淡々と道を歩くことが出来る。
歩くという静かな意志は何にも邪魔されない。
今歩いている道がこれから先どうなるかは「どうなりたいか」を基準にするだけ。
なんてシンプルなんだ。
今まで詰め込んだ膨大な知識が本当は必要無かったなんて。
今は背負った荷物の重さを噛みしめてゆっくり歩もう。
心からそう思う。
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