こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「悪」です。
本質を追求すると「悪」はこの世に存在しないという真理に辿り着きますが、今回は表面上の「悪」とされていることについてお伝えします。
人は誰しも悪いことを考えている時には悪い顔をします。
自分の悪い顔に氣づくことはとても大切です。
なぜなら悪い顔をしている時というのは邪悪な氣が入って来るからです。
「あいつをどう懲らしめようかな」
「意地悪したいな」
そう考えている時に邪悪な楽しさを感じます。
人の悪口を言っている時もそうです。
嫌いな人の悪口で盛り上がると楽しいです。
しかし、邪悪な氣を纏う(まとう)と短期的な楽しみの代償として、長期的な喜びを失ってしまいます。
目先のことしか考えない人は邪悪な氣のせいかもしれません。
でも私達は誰でも短期的な楽しみと長期的な喜びの両方を望んでいます。
つまり、人生を豊かにする上で邪悪な氣も一役買っているのです。
人生を謳歌している人は時に邪悪な氣を利用して刺激的な楽しみを感じます。
邪悪な氣がもたらす陽のエネルギーはとても刺激的で底無しです。
個人的には「暴飲暴食」「人の悪口」「浮氣」「不倫」「薬物乱用」「他人をダマして金儲け」などが邪悪な氣がもたらす陽のエネルギーが行動化したモノだと思っています。
これらに共通するのは「足るを知らない」ということです。
邪悪な氣は底が無いのです。
求めるほどに渇きます。
しかし、私達には邪悪な氣と正反対の「足るを知る」心があります。
それが「良心」です。
「良心」は様々な善良な氣をもたらします。
善良な氣はあなたの人生を長期的な喜びに変える力があります。
「悪い心」を無くして「良心」を求める。
これは長期的な喜びを得る上でとても重要です。
しかし、「悪い心」がキレイサッパリ無くなるということはありません。
誰しも「悪い心」を持ち合わせています。
なぜ「悪い心」が無くならないのか考えてみました。
すると、「必要なモノだから」という答えに辿り着いたのです。
邪悪な氣、善良な氣、この両方を上手く利用する人は人生を謳歌します。
それがこの世の仕組みです。
時の権力者は民に「悪い心」は持つなと言い聞かせながら、自分はその底知れぬ力(悪い心)を利用していたかもしれません。
宗教の歴史を見ればそう感じます。
ではどうすればいいかと言いますと、無くならないのなら「悪い心」を利用すると良いかと思います。
「悪い心」がもたらす邪悪な氣を持って楽しむのです。
でもそれには注意が必要です。
「悪い心」に取りつかれると邪悪な氣の底無しのエネルギーはあなたをどんどん長期的に不幸にします。
それを強く自覚したならば、邪悪な氣の使い方をマスターすることが出来るでしょう。
それを自覚できないならば、「良心」だけを求めるのが丁度良いと思います。
もし、あなたが「良心」を求め過ぎて疲れたのならば、時には邪悪な氣を使って一時的な楽しみを感じてみてはどうでしょうか。
「ちょっとだけ意地悪な氣持ちを持つ」
それを自分に許すことで、氣持ちが楽になります。
それの氣持ちはあなたの心に良いスパイスを与え、更なる高みへといざなってくれることでしょう。
ここまで読んでくれてありがとう。
心からあなたに感謝します。
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