他人に氣に入られようとすることは良いこと

人生マインド

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回のテーマは「迎合」です。

迎合とは自分の考えを捻じ曲げ、他人に氣に入られようと取り繕う(つくろう)ことです。

ゴマをするのも迎合です。

急にインスピレーションが降りて来たのでシェアしたいと思います。

まず始めに注意しておきたいことがあります。

この記事の内容は「人間関係に苦しみ果てた人」を対象としています。

「弱い自分から抜け出したい」

「でも誰も傷つけたくない」

そんな優しい人に敢えて極論を伝えたいと思います。

極論を言うことで、あなたの信念に深く届くような言葉を選んでいます。

では早速その極論を見て行きましょう。

迎合を極める

迎合の何が行けないのかを追求すると、自分の軸となる部分が失ってしまうことの「恐れ」を感じることでした。

多くの人は自分の軸となる部分が無いと心が弱くなると思い込んでいます。

特に人間関係に疲れ果てた人ほど自分の軸を強く持とうとします。

しかし、自分の軸を持ちたいという願望を手放すと人生が生きやすくなります。

全くの逆だったのです。

自分の軸を無くすことは仏教で言うところの「無我の境地」になります。

自分の軸が無いのでどんな人間にも対応可能になります。

風のように軽やかに生きやすくなるイメージです。

人は誰でも迎合する時があります。

この時に感じるのは自分の考えを捻じ曲げなければならない苦しみです。

しかし、その自分の考えは捨てて下さい。

自分には軸が無い。

真剣にそう思うのです。

あなたに必要なのは自分の考えの軸ではありません。

「生きやすさ」です。

まずはそれだけを求めましょう。

自分の考えは存在しないと諦めましょう。

それぐらいの覚悟を持ってもブレない、失わないのが本当の軸になります。

それ以外は捨てましょう。

誰かが人の悪口を言っていたら、それに乗っかる人も居ます。

それが今まで悪いことだと思っていました。

しかし、そこに悪は存在しません。

一緒になって他人の悪口を言うことで、あなたは人を傷つける可能性もあります。

これに罪の意識を感じないでください。

あなたは単にその場を楽しくしたいだけなのですから。

その後に悪口を言ってしまった人のことを心の中で愛するのです。

「それじゃ悪口を言われた人が可哀そう」

と思った方も居ることでしょう。

ていうかほとんどの人がそう思ったでしょう。

しかし、あなたの一番の望みは何ですか?

「もっと生きやすくなりたい」

そう思っているはずです。

そしてあなたは傷つくことの辛さを知っています。

ここがポイントです。

傷つくことの辛さを知っている人は、人を敢えて傷つけても良いのです。

それぐらいの感覚があなたには丁度良いのです。

私が言いたい本質は「他人を傷つけろ」ということではありません。

そのぐらいの覚悟で「迎合」を極めるのです。

そして「迎合」して軽やかに生きる自分を褒めるのです。

「迎合」の本質は「他人に氣に入られる」ことです。

これは悪いことではなく歴とした能力だと私は考えています。

私がここまで強く言うのは、これを読んでいるあなたを深く信頼しているからです。

あなたは実際に「他人を傷つける」ということはしないと思います。

だからこそ強めに言うことが出来るのです。

人は誰でも他人に氣に入られたいはずです。

「氣に入る」という言葉をスピリチュアル的に言うと「周波数を合わす」ということです。

周波数つまり波動を上げたり下げたりしてピントを合わすのです。

スピリチュアルな人は波動を下げるのを毛嫌いする人が多いですが、それは波動を下げることは悪いことだという間違った信念があるからです。

波動は低くても良いのです。

もちろん波動が高い方がより幸福度も増します。

しかし、波動が高いと、低い波動とのズレを感じた時に苦しみを感じてしまいます。

だから波動の低い人が現れるとあなたが自ら波動を下げれば良いのです。

まずは相手に合わす。

そしてピントが合ったらお互いに波動を高め合う。

これでいいのです。

人に合わすというのが大切です。

ピントが合わない内に相手の波動を上げようとすると、無理があります。

柔軟に波動を上げ下げするイメージを持って下さい。

スピリチュアル的なことがわからない人は「迎合」を極めて下さい。

そして「迎合」する自分を褒めて下さい。

氣に入られようとすることは悪ではありません。

誰にでも良い顔をするのです。

そう言うと

「誰にでも良い顔をしたら嫌われるんじゃないか」

と思うでしょう。

確かに人の痛みを知らない人が誰にでも良い顔したら嫌われます。

しかし、人の痛みを知っているあなたなら嫌われることはありません。

人の痛みを知っている人は雰囲氣にしっかりとそれが現れます。

特に日本人は氣を感じる力が優れているので、雰囲氣を大切にしています。

だからこそ、あなたの雰囲氣に自信を持って下さい。

あなたには人を傷つけない雰囲氣があるのです。

それを大切にしながら誰にでも良い顔して見てください。

そしてこれはゴールではありません。

深く関わった人にはあなたの深い部分を見せていくのです。

それがゴールです。

そしてそれまでは自分の弱い部分をさらけ出さずに隠し通してください。

あなたの心の奥では弱い自分を隠したがっています。

それをする自分自身を許すのです。

弱い自分をさらけ出す必要がある人は自分の弱さを知らない人だけです。

自分の弱さを知っているあなたは弱みを見せてはいけないのです。

弱みを見せるとソコに付け込む隙が出来ます。

そうすると弱弱しい氣があなたの周りを覆います。

そうなると本当に弱くなってしまうのです。

ポイントとしては、他人に弱みを見せないのではなく、神様に見せない感覚です。

つまり、いついかなる時も弱みを隠したままでいるのです。

そして、自分に衣を着せてください。

背伸びした衣を着せるのです。

そしてその衣を着た自分で相手と関わりましょう。

あなたは飾らない大切さを知っています。

だからこそ強めに言っているのです。

これは外科手術の様なモノで、一度人体を開いた後、内側を治したら後は閉じなければいけません。

内側がむき出しだと非常に傷つきやすくなってしまいます。

あなたの体でさえ弱い部分を骨や皮膚で頑丈に守っているのです。

あなたは既に自分の衣を脱ぎ捨て、自分を確認しました。

あとは好きな衣を羽織りましょう。

それが人と接するマナーなのです。

弱みを見せず、衣を着飾って、人に氣に入られようとする。

これが普通の感覚なのです。

その普通の感覚に慣れて行きましょう。

その感覚を理解出来た時、あなたの中で「何か」が許されます。

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