人付き合い上手な人が空氣を読む時の深い感情

人生マインド

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回のテーマは「空氣を読む」です。

相手に同意を求められた時に、

「自分の信念と違うことは言いたくない」

「自分の信念と違うことを言うと罪悪感を感じる」

そう言った悩みを解決したいと思います。

このブログでは対人関係の表面的なテクニック論よりも、自分自身に目を向けた考え方を記事にして来ました。

全ての悩みの答えは自分自身の中にあると信じているからです。

「空氣を読む」というと一見テクニック論にも聞こえますが、今回お伝えしたいのはその方法ではなく「空氣を読む」ことの深い意味について私の考えを述べたいと思います。

あなたが「空氣を読む」ことの深い意味を見出せたとしたら、表面的な対人関係のテクニックも後から自然とついて来るようになります。

辛い想いをしながら表面的なテクニックに走るのではなく、その本質を知って心の底から対人関係を楽しめるようになって行きましょう。

空氣を読む深い意味

「空氣を読む」という言葉は割と最近作られた造語です。

発症はわかりませんが、一説によるとお笑い芸人の「松本人志」さんが広めたとも言われています。

「空氣を読む」とは場の雰囲氣を考慮して言動を行うことです。

葬式で大笑いするのは「空氣が読めない」ということになります。

笑い話で盛り上がっている中で話を遮って真剣な話をするのも行き過ぎた場合は「空氣が読めない」というレッテルを張られることもあるでしょう。

生まれつき「空氣が読めない(相手の感情を認識できない)病気」も存在します。

そう言った病気も存在する中で、そもそもその場の空氣を読むことは大切なのでしょうか。

私は大切だと感じて居ます。

因みに以前は「空氣が読めない自分」が嫌いでした。

なので自分を肯定するためにも「空氣を読むことは重要ではない」と決めつけていました。

でも「空氣を読むことの深い意味」を知ってからはその大切さを感じながら「場の空氣を読む」ことが好きになりました。

その意味とは何かと言いますと「愛」です。

ありきたりな回答ですが、それが全てなのです。

この答えをありきたりだと感じるのはあなたの心が既に知っていることだからかもしれません。

でも色々言葉を追求していくとこの言葉に行きつくのです。

アメリカの研究で、ハーバード大学700人とスラム街の700人の計1400人を75年間追跡調査した実験の結果で、幸福度が高い人は「お金」ではなく「人間関係の良さ」に最も比例するという結果が出ました。

75年も追跡するのは凄いですね。

この実験の結果がもたらした通り、「人間関係」が幸せを測る上で一番重要だと言えます。

それもそのはず、大古の人間は群れで生息しないと生き残れなかったのですからその子孫である私達のDNAに「人間関係の大切さ」が組み込まれているのも理解出来ます。

「人間関係」で悩むのも「人間関係」を大切に想っているからこそなのです。

そしてその「人間関係」を大切に想う中で生まれた感情が「愛」なのだと思います。

この感情は論理では測れません。

だから「空氣を読んで」自分の信念とは違った言葉を発するのもなんてことないのです。

私の想像では日本人が物事を正確に伝えることに重きを置いたのは西洋の文化が浸透してからだと思います。

なぜなら古くから使われている日本語は物事を正確に伝えることに長けてないからです。

日本語はどちらかというと、「人間関係」を円滑にする感情表現に長けています。

とても表現に奥行きがあるのも、昔の日本人は「人間関係」や「自然との調和」の大切さを深いレベルで知っていたからかもしれません。

「愛」はあなたの信念よりも大切です。

個人の信念とは「愛」の上に成り立っているのです。

だからこそ、自分の信念を主張するのではなく「調和」を大切にした「空氣を読む力」を身に付けて欲しいのです。

発する言葉に正解なんてありません。

正解かどうかではなく、言葉に「愛」があるかないかというだけなのです。

人によって自分の信念とは違う発言をしてしまうと「自分の信念が揺らぐのではないか」と考えてしまう人が居ます。

それは揺らいで当然です。

「空氣を読む」ということであなたの信念よりももっと大切な発言をしたのですから。

そこに「愛」があれば信念は揺らいで良いのです。

しかし、「空氣を読む」ということよりも大切なことはあなたが発した言葉に「愛」があるかどうかです。

「空氣を読みたくない場面」というのも確かに存在します。

例えば第三者の悪口に同意を求められた場合あなたならどうしますか?

一緒に悪口で盛り上がるのは悪いことでしょうか?

もし、あなたが相手の痛みを知っているなら悪いことだと判断するでしょう。

しかし、相手の痛みを知らない人も存在します。

その人にとって、悪口で一緒に盛り上がるのは話し相手に対する「愛」なのです。

「そんなの愛じゃないよ」

という意見もあるでしょう。

しかし、「愛」とは論理では測れないのです。

「陰口は良くない」と私達は教え込まれて来ました。

その理由としては悪口を言ったら相手を傷をつけてしまう可能性があるからです。

でも、「悪口」というのは自分を傷付けないための手段でもあるのです。

自分の子孫を除いて考えると、結局一番大切なのは自分自身なのです。

それは皆同じだと思います。

だから世間では良くないとされていることでも、「悪口」は決して無くならないのです。

世の中にはいろんな人が居ます。

もしあなたが悪口の同意を求められたら、率直なあなたの意見を言えば良いのです。

「空氣を読む力」というのは相手を貶める時に使うのではなく、もっと建設的な場面で使った方が良いかもしれませんね。

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