論理が及ばない精神世界

スピリチュアル

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回のテーマは「論理より大切なモノ」についてです。

深い瞑想状態になると、思考が滝の様に流れて来ます。

なぜその思考が降りて来たのか考えても答えは見つからないことが多いです。

深い精神世界とは眠りにつく時に見る夢のような世界が広がっている様に感じます。

夢はとても深い精神の時に見るモノだと私は考えています。

夢の世界では論理が破綻しています。

不思議なことが起こっても、全く不思議だと認識できない世界が夢の世界です。

例えば夢の世界では一緒に居る人が入れ替わっても不思議に思いません。

空を飛べても、会話の論理が破綻してても不思議に思いません。

そこから私は深い精神世界とは論理が及ばない世界なのではと感じました。

つまり、私達は論理が通じる世界と論理が通じない世界の両方を生きていることになります。

この両方の世界は密に繋がっていて、それが現実を創り出しているのです。

現実世界を生きる上で論理はとても大切なモノですが、その根本には論理の及ばない世界があります。

深い精神世界こそ私達の信念や感情、思考を生み出しているのです。

簡単に言うと、論理が及ばない世界が現実世界の土台になっている感覚です。

根本から自分を変えたければ一度論理を捨て去り、深い精神世界を意識する必要があります。

深い精神世界では、論理より感覚が大切です。

論理より大切なモノ、それは感覚なのです。

「心を静めてください」

そう言われた時にあなたはどうしますか?

言葉では説明出来ませんよね?

でも感覚的にこうだろうというモノが存在しています。

それこそが大切な感覚の正体です。

言葉に出来ない感覚、それがあなたの根本を変えてくれます。

論理では解決できない事柄を感覚に委ねるのです。

感覚は磨けば必ず上達します。

その感覚を敢えて言葉で説明するとなると一番近い言葉が「自己暗示」だと思います。

でもその言葉は忘れて下さい。

「自己暗示」という言葉を意識することで感覚が鈍ります。

言葉には人それぞれ凝り固まったニュアンスが存在しています。

そのため、言葉による自分なりの先入観が生まれるので、感覚を磨くには邪魔な存在となります。

感覚を磨くには心を静めることが大切です。

思考を止め、心を静めて無心になるのです。

その感覚を養うのに一番効果的な方法が「瞑想」です。

瞑想によって深い精神世界に入るともうそこから論理でモノを考えないでください。

ただただ無心になって静寂を感じるのです。

心の静けさを感じるまでになれば、そこから様々な知恵が生まれます。

これ本当です。

私は最近になってようやく「うるさい心」と「心の静けさ」を区別できるまでになりました。

もちろん論理ではここまでの感覚には至れません。

これはあくまでも推測ですが、陰と陽のどちらでもない中庸(ちゅうよう)の状態が心の静けさを生むのだと思います。

「何事もバランスが大切」という思考は誰でも持っていると思いますが、

「何事もバランスが大切」という感覚を持っている人は少ないと思います。

同じ言葉でも受け取る深さで全く違う結果が生まれるのです。

そこがまさに論理の及ばない世界なのです。

「深い精神世界に行け」

「陰と陽のつり合いを整えよ」

「心を静めよ」

「感覚を研ぎ澄ませ」

「無心になれ」

これらはとても大切な感覚的な言葉です。

これらの言葉を聞いて浅く受け止めるのか深く受け入れるのかで大きく異なりますが、

感覚的な言葉は深い精神世界への扉を開くのに役立ちます。

しかし、これらの言葉があなたを連れて行くのは深い精神世界に入り口までです。

そして思考を止めると、言葉や論理が及ばない感覚の世界へ旅立つのです。

そこは訳のわからないイメージが心に思い浮かぶでしょう。

その世界では言葉ではなく感覚によって必要なモノを求め祈ることで氣づきが与えられます。

究極の願望の正体は「言葉無き祈り」なのです。

あなたが本当に求めているモノ、それはおそらく言葉では表すことのできない感覚なのです。

「言葉無き祈り」が通じる世界はあなたの中に確かに存在しています。

「言葉無き祈り」によって生まれるのが究極の自己暗示なのです。

それらは全て感覚なのです。

なので論理より大切なモノは感覚なのです。

ここで一度論理を捨て去り、感覚を磨いてみてはいかがでしょうか。

そうすれば、きっと根本的で本質的な何かが見つかることでしょう。

ここまで読んでくれてありがとう

からあなたに感謝します

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