人に裏切られたという想いが疑う心を生む。
人を疑い、自分を疑う。
疑いが晴れて氣持ちいい。
今はそんな氣分。
自分で自分を疑うことを止めれば人を疑うこともない。
疑わない心。
常にそれを持ち続けたらなんて楽な人生だろう。
自分を疑いさえしなければいい話だが、これがまた難しい。
自分を疑うのは成長の兆し。
そう考えたら疑いも嫌じゃない。
疑いが嫌じゃなくなったら逆に疑わなくなる。
疑いには答えが隠されている氣がする。
自分らしさを取り戻すための答えが。
疑いとは絡まった糸のようなモノだ。
複雑に絡まれば絡まるほどそれを紐解く力は要らなくなり、知恵が必要になる。
力強く絡まった糸を紐解こうとしてもダメ。
自分で自分を疑っているなら知恵を降ろそう。
知恵を降ろすには脱力がカギ。
必死に求めた後の脱力。
先ずは必死さを出す。
そして必死な自分から一歩身を引いてみる。
押して引く。
これが大事。
押して引くと大抵のことは上手く行く。
一本一本疑いの糸を紐解いて見よう。
複雑に絡まっているので最初は手探り状態。
余計に絡まってしまうこともある。
進んでいるのかどうかもわからない。
しかし、必死になればふとした時に紐解く方法が見える。
ゴールが見えない暗闇の中に光が差し込む。
そんな感覚。
そうすると人生のエスカレーターに乗れる。
後は自動で上手くやってくれる。
自分を疑わないと人も疑わなくなるのは何故だろう。
なぜ自分が変わったら世界も変わるのだろうか。
心はまるで映写機だ。
現世(うつしよ)という言葉は昔からあるが、そのことを昔の人も知っていたのかもしれない。
他人を変えるのではなく、自分を変える。
それだけで全てが整う。
自分って奥が深い。
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