ポエム

人に裏切られたという想いが疑う心を生む。

人を疑い、自分を疑う。

疑いが晴れて氣持ちいい。

今はそんな氣分。

自分で自分を疑うことを止めれば人を疑うこともない。

疑わない心。

常にそれを持ち続けたらなんて楽な人生だろう。

自分を疑いさえしなければいい話だが、これがまた難しい。

自分を疑うのは成長の兆し。

そう考えたら疑いも嫌じゃない。

疑いが嫌じゃなくなったら逆に疑わなくなる。

疑いには答えが隠されている氣がする。

自分らしさを取り戻すための答えが。

疑いとは絡まった糸のようなモノだ。

複雑に絡まれば絡まるほどそれを紐解く力は要らなくなり、知恵が必要になる。

力強く絡まった糸を紐解こうとしてもダメ。

自分で自分を疑っているなら知恵を降ろそう。

知恵を降ろすには脱力がカギ。

必死に求めた後の脱力。

先ずは必死さを出す。

そして必死な自分から一歩身を引いてみる。

押して引く。

これが大事。

押して引くと大抵のことは上手く行く。

一本一本疑いの糸を紐解いて見よう。

複雑に絡まっているので最初は手探り状態。

余計に絡まってしまうこともある。

進んでいるのかどうかもわからない。

しかし、必死になればふとした時に紐解く方法が見える。

ゴールが見えない暗闇の中に光が差し込む。

そんな感覚。

そうすると人生のエスカレーターに乗れる。

後は自動で上手くやってくれる。

自分を疑わないと人も疑わなくなるのは何故だろう。

なぜ自分が変わったら世界も変わるのだろうか。

心はまるで映写機だ。

現世(うつしよ)という言葉は昔からあるが、そのことを昔の人も知っていたのかもしれない。

他人を変えるのではなく、自分を変える。

それだけで全てが整う。

自分って奥が深い。

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