怒りという大切な感情についての考察

人生マインド

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

今回のテーマは「怒り」についてです。

怒りを抑えられない人も行動力が無くて困っている人も必見の内容となっています。

怒りという感情はとても大切な感情だと私は考えています。

怒りとは外に発する陽のエネルギーです。

内にこもる陰のエネルギーとは違って、陽のエネルギーはあなたの行動力に直結します。

個人的に、怒りを持って行動している政治家は好きです。

怒りとは自分の中にハッキリとした芯が無ければ湧いて来ない感情です。

ハッキリとした芯を持つことで、普段から自分なりにブレない行動を取ることが出来ます。

私は陰のエネルギーは自分を愛し、陽のエネルギーは世界を愛することが真の目的と考えています。

ここからは「怒り=世界を愛する」という方程式においての私なりの考察をしてみたいと思います。

怒りという大切な感情

まず、大前提として「怒らない人」はこの世に存在しません。

人だけではなく、高等な生物には怒りという感情が存在します。

太古より怒りがもたらしたモノは「身を守る」「子を守る」この二つです。

その為、危ない行為をしている人に対して私たちは怒りという感情を以って対処する訳です。

生物学的に考えると怒りは「種の存続」に必要な感情だったわけです。

エサや縄張りを争い、自分と子のために怒るのは極自然な行為で否定すべきモノではありません。

では、怒りが無いとどうなってしまうのか。

恐らく長い年月をかけてその種は滅びてしまうでしょう。

では、最も高等な生物である人間にとっての怒りとは何なのか?

「身を守る」「子を守る」この二つを前提として、人間にとっての怒りという感情はとても複雑に出来ています。

人間に特有の怒りとしては「義を守る」ことが挙げられます。

義とは「正しい道」のことです。

そして何が正しいかは自分の心で判断します。

つまり人間にとっての怒りとは、もの凄く深いところで「あなたを私が正しいと思う道へ誘導します」という意思表示なのです。

そこから逆算すると、何に怒りを感じるかで自分が正しいと信じていることがわかって来ます。

そしてあなたが正しいと信じている道はとても重要です。

戦争中では「人を殺めること」が正しい道だと信じてしまう様に、何を正しいとするかであなたの世界がガラッと変わってしまうのです。

そして次に重要なのが自分にとっての正しさは変わって行くということです。

何が正しいかなんてモノに絶対的なモノはありません。

移り変わりゆく自分なりの正しさで人は怒っているのです。

その自覚さえ出来れば怒りはとても大切な感情だということが理解できて来ます。

先ほど怒りはブレない行動をもたらすと述べましたが、自分の正しさから逃げない強さが怒りに隠されています。

怒りが無い人は自分の正しさから逃げている無責任な人なのです。

責任感が強い人に怒りっぽい人が多いのも、自分なりの正しさから逃げずに立ち向かっているからなのです。

しかし、人間関係という観点から見ると怒りは人を不快にし、北風と太陽の北風の様な立ち位置に見えてしまいます。

怒りは本当に北風なのでしょうか。

それではもっと視点を広げてみましょう。

怒っている人を見ると人は「危険」と判断し、「闘争か逃走か」の判断を下します。

闘争したとしたらどうでしょう。

それが最終的にもたらすのは妥協点を見つける調和か、相容れないと離れるかの二つです。

「怒り」という強烈な自己主張によって相手に闘争心をもたらし、それが調和を生むか、相手と適度な距離を作ることが出来るのです。

ケンカした後は仲良くなれるというマンガの様な世界は現実に起こりえます。

「怒り」は強烈な本音であり、本音同士でぶつかることで調和が生まれるのです。

そして相手と適度な距離を作るのも大切です。

「この人何考えているかわからない」という人よりも、「怒り」という本音をさらけ出すことによって自分との距離を相手に委ねる人の方が長期的に見れば相手にとって楽なのです。

「アイツとは相い入れないな」とハッキリとした判断をさせるのです。

そしてそれは長期的に調和を生む可能性があります。

逆を言えば、何考えているかわからない人とは調和は生まれません。

次に逃走した時はどうなるでしょうか。

これも先ほど述べた適度な距離を保つことに繋がります。

「とりあえず怖いから逃げよう」となるのです。

しかし、人間社会では物理的に「怒り」から逃げる人はそうはいません。

現実としては「怒り」をぶつけられたら、「あやまるか、怒り返すか」です。

「怒り」とは短期的には北風ですが、長期的には太陽になり得ると私は考えています。

では、具体的に「怒り=世界を愛する」ということについて考察したいと思います。

陰のエネルギーは自分を愛するエネルギーです。

陽のエネルギーは世界を愛するエネルギーです。

「怒り」は陽のエネルギーです。

生物学的に言えば「怒り」があることで「種の存続」が保たれています。

それを人間社会に落とし込むと、「怒り」とは「今の自分らしさ」です。

今感じている「怒り」の正体は「今の自分の正しい道」です。

それが自己中心的な道であっても心の奥でそれが正しいと信じているから「怒る」のです。

そしてそれは変わりゆくモノです。

なぜなら「自分にとって正しい道」は時に変化する存在だからです。

いつしか「受け入れる」という瞬間を迎え、そしてソレに対して「怒り」が無くなる時が来ます。

逆もしかりです。

「受け入れなくなる」という瞬間を迎え、ソレに対して「怒り」が芽生えることもあります。

どちらも大きな括りでは「成長」の一種なのです。

あなたは何に「怒り」を感じますか?

それが今のあなたの信念であり、それがあなたの行動を決めています。

そしてソレ自体に良いも悪いも感じる必要は無く、ただただそのままの自分を深く受け入れてみて下さい。

そうすることで、つまらないことに「怒り」を感じなくなり、意義あるモノに「怒り」を感じることが出来ます。

意義あるモノに「怒り」を感じる人は世の中を変える力がそこに宿ります。

「怒り」はこの世界にも、人間社会にとっても大切な「愛」なのです。

これを読んでくれた方が例え賛同できなくても「自分なりの氣付き」を得るきっかけとなれれば幸いです。

ここまで読んでくれてありがとう

より感謝いたします。

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