人それぞれに特有の言葉に出来ない優しさがある

スピリチュアル

こんにちは。

真人生探求家のゆうきです。

あなたは自分の優しさについて考え感じたことはありますか。

私はかつて愛した女性の優しさについて深く考え感じることで、自分の優しさに触れました。

人にはそれぞれ特有の優しさがあります。

それが個性を作り出している大元(おおもと)なのだと感じます。

ここでは「優しさ」と表現していますが、「愛」と置き換えて考えてもいいでしょう。

とにかく言葉では表現することが出来ないあなたなりの本質が存在しているのです。

ソレを言葉で表現した瞬間にソレから遠ざかって行きます。

でもあえてわかりやすい様に「優しさ」と表現します。

その優しさは自己主張がありません。

ただただ包み込む性質を持っています。

包み込まれる様な優しさです。

それはとても薄い氣の様なモノだと感じます。

そこに強さや逞しさといったモノは無く、雲の様に揺らぎながら漂っています。

悪く言えば不安定ですが、ソレはとても柔軟性を持っています。

まるで、何にでも対応する使命を帯びた様な優しさです。

何にでも対応するのであなたが行う行動、思考、感情、信念、無意識の全てを司っていると感じます。

この優しさを「心」と表現しようか迷いましたが、心の性質とはまた少し違っている様に感じたので、感じたまま「優しさ」と表現することにしました。

これはあくまで私に降りたインスピレーションですが、その優しさは心を創るモノだと感じます。

ソレは魂の周りにフワフワと漂い、その周りに心が存在するイメージです。

言葉に出来ないその優しさは一人一人違います。

なので自分特有の優しさに触れると自己主張が無くなる氣がします。

自己主張するのは自分は特別だと感じてない証拠です。

もともと特別な存在だと感じたら自己主張が必要無いことを感じるのです。

その優しさは常にあなたと共にあります。

意識出来ない時がほとんどですが、もしあなたの意識がソレを感じることが出来れば「自信」が要らなく感じます。

「自信」というのは自分を信じることですが、その優しさは「一人一人が特別な存在」ということを確信させてくれるので、そもそも自分を信じる必要が無くなるのです。

自分を信じるというよりも他人を信じる心が芽生える感覚があります。

「自信」ではなく「他信」です。

おそらく「根拠のない自信」はソコから来ています。

ここで、私がこの優しさに触れることが出来た方法をシェアしたいと思います。

この優しさは頭で考えてもわかりません。

とても深いところでソレを見つけるのです。

求めるのではなく見る感覚です。

その違いは信じる力です。

見るということは信じることが前提になっています。

求めることは信じることが出来ていないから信じたいということが前提になっています。

そうすれば一瞬ですが感じることが出来ます。

その優しさに触れることが出来なくても、この記事の内容を信じてみてください。

あなたが「その優しさ」と共にあらんことを・・・

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