職場で久しぶりに症状が出たのに氣づいた。
今までやって来たこと。
その全ては間違ってたのか。
いや、そうではなさそうだ。
今までの成果を試す時が今なのだ。
正直、症状が寛解してからというもの、このブログの読者との距離が広がっている氣がしていた。
症状が出なくなった人という説得力もあるが、症状が出るのに対処出来たという説得力もある。
今は後者を試される時だ。
今までやって来たことのお蔭で氣持ちは前向き。
思考伝播が来たので瞑想をした。
深く、深く入っていく。
右脳に直接伝わる感覚を感じる。
思考伝播はどこからともなくやって来て、右脳へ届いている。
深く入るとそれがわかる。
そして思考伝播から来るメッセージを受け取った。
それは「ゆっくり」という言葉だった。
とても深いところでそれを感じた。
すると焦っていた自分に氣づいた。
それはこの病気とかそんな次元じゃなく、生まれた頃から持っている氣質の様なモノ。
私は「ゆっくり」出来る人になりたかったんだ。
というか「ゆっくり」することが私その物だった。
本当の私のイメージは前から出来てはいたが、言葉が見つからなかった。
本当の私、それは「ゆっくり」という言葉がピッタリ来る。
背伸びをするとそれが消える。
何事も「ゆっくり」が大切だった。
とても深いところで感じた言葉なので「ゆっくり」という言葉の感覚も深い。
どんなに良い言葉を聞いても浅い感覚だと余り意味が無い。
しかし、たった一言の何氣ない言葉でも、めちゃくちゃ深く感じたらめちゃくちゃ意味がある。
それを改めて体感した。
思考伝播はこんな深いメッセージを私にくれるのか。
もしかしたら、思考伝播って苦しみの裏に喜びが隠れているのかもしれない。
「今ここにゆっくりと」
それが私を表す最たる言葉。
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