こんにちは。
真人生探求家のゆうきです。
今回のテーマは「かなしみ」です。
「かなしみ」には二種類の漢字が当てられています。
悲しみは一般的な感情で、哀しみは死者に対する感情になります。
でも、普段私達は「かなしみ」という言葉を分けて使いません。
同じ読み方なので「かなしみ」と言った方がより身近に感じると思いますので、今回はあえて平仮名で「かなしみ」と表現します。
多くの女性は「かなしい」という言葉を良く使う様に見受けられます。
しかし、多くの男性は「かなしい」という言葉が「女々しい」というニュアンスを感じて居るのかあまり使わない傾向があります。
しかし、「かなしい」という感情を大切に感じることで人は愛に目覚めるのです。
どういうことかこれから説明します。
「かなしみ」を感じるスピリチュアルな深い意味
人生にはかなしい出来事が多く存在します。
ちょっとしたことから大きなことまで様々です。
それは私達の「意味付け」による思い込みがそうさせています。
だからと言って思い込みを手放し、かなしみを受け入れない様にすることは出来ません。
もし出来たとしてもそれは人間にとって大切なモノを失うことになります。
では、なぜ私達は起こった出来事に「かなしい」という意味付けをするのでしょうか。
それはスピリチュアル的に言えば「愛に目覚めろ」というメッセージなのです。
私達は素直にかなしみを感じて居る時に愛に目覚めます。
他人に理不尽なことをされた時、怒る人は「かなしみ」を大切に感じて居ません。
しかし、ここでかなしむ人は他人を受け入れ、許しているからこそ「かなしい」と感じられるのです。
ちょっと難しいですが、かなしみとはとても深い感情です。
その深いところを見つめることが出来るのは出来事の受け入れが出来ている証拠です。
出来事を受け入れられないと「怒り」や「憎しみ」、「嫌悪」などの浅い感情がやって来ます。
そして「愛」も「かなしみ」と同様に深い感情です。
つまり、愛に目覚めるためには心の深いところに常にアクセスする必要があるのです。
「かなしみ」という感情を大切に感じた場合、自然に心の深いところにアクセスします。
そしてその更に奥には「愛」が待ち受けているのです。
「かなしみ」という言葉に隠された深い意味
「かなしみ」をいつものように縄文の言葉で一文字ずつ紐解きます。
か:幽玄、奥深さ、疑問
な:調和
し:統一、静粛
み:本質、優しさ
まとめると「奥深い静かな調和の本質」です。
これを一言で表すと「愛」になると思います。
その証拠に、縄文時代の言葉が色濃く残っている沖縄の言葉に「愛し(かなし)」という言葉があります。
沖縄の人は「可愛い」とか「愛しい」とかを表現する時に「かなさんどー」と言います。
「かなしみ」とは本来「愛」に近い感情かもしれません。
最後に・・・
かなしみを大切に感じることは愛に目覚めることだと言うことがおわかりいただけただろうか。
これからは「女々しい」とか思わないで、素直にかなしみを感じて見てはいかがでしょうか。
そうすることで自然と深い感情を感じ、その近くにある愛の感情を探し当てることが出来るかもしれません。
愛は全ての答えを知っています。
というか愛だけが全ての答えなのです。
何か悩みがあったり、苦しい想いをしている人は愛が少し足りないのかもしれません。
人の本質は光です。
産まれた頃から悪い人なんてこの世に存在しません。
数奇な運命をたどり、人を殺めたりする人も確かに存在しますが、それは闇に落ちているだけで本来持っている光をたどれば誰でも善人になれるのです。
本来宇宙には善も悪も存在しませんが、私達は人間である以上善と悪の意味付けをしてしまいます。
どうせ意味付けするなら出来る限り全てを善と受け止め、人を許し、人を愛すことであなたの魂が光輝くのだと私は考えています。
闇は強い光を教えてくれます。
人生が闇に落ちた人も必ず光を見つけることが出来ると私は信じています。
全ての人に光あれ・・・
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